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聖霊降臨後第15主日(9月18日)「富よ、さよならといえるように」

このことを聞け。貧しい者を踏みつけ 苦しむ農民を押さえつける者たちよ。                 アモス8:4

9そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 10ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」                                     ルカによる福音書16:9~13

【説教要旨】「富よ、さよならといえるように」

戦後の臭いがまだ残る貧しい日本から豊かな日本になろうとする高度成長期を私は生きてきました。貧しさから段々と豊かになることを実感しました。なぜ、勉強し、技術を得るか。その中心はいかにして金を得るかということです。金を得るための学歴があり、身に着ける技術でした。今、考えると実に単純な社会でした。

今日の聖書日課は理解が難しい個所ですが、次の二つのイエスさまの言葉から聞いていきましょう。

「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。」、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

刈谷教会の会堂は、岡崎の上宮寺さんのご長男の方から多額の献金をいただき建設をしました。その方のお父さんは佐々木月樵と言われ、仏教学者で、近代的な仏教学・人文学研究・教育の方法論についての研究も積極的に推進し、大谷大学第三代目の学長をされ、海外にいた鈴木大拙を日本に招聘し、給与を補填されました。お寺は現在の岡崎から豊田・足助まで田畑をもつ大地主で、末寺が数百あった時もあったということでした。しかし、仏教学者、住職であった月樵氏の富の本質をよく知っておられたと思います。富が小作農の働きの上になっていたことを、不正なものであったことをよく知っていたかもしれないと思います。教祖である親鸞も、中興の祖、蓮如にしても、世にある矛盾を飲み込みつつ、悩みつつ、イロニー(表面的な立ち居振る舞いによって本質を隠すこと、無知の状態を演じる)に富み深い魂の真理にふれようとしました。隠された深い屈折を持ちつつ、これを隠しきる勇気をもっておられたのでしょう。だから、仏教界として海外に流失している鈴木大拙の頭脳を日本に呼び返す、そして給与の不足分を全部出す。「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。」ということであり、まさにこの方こそ、「だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。」というイエスさまが言われるように豊かな知識と富を与えて、「本当に価値あるものを任せられた」のではないでしょうか。

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鈴木大拙を呼び返すことによって、仏教界に貢献し、仏教界に貢献することは多くの人を救うことが出来るという事ではないでしょうか。「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。」という「友達」を作ったのです。

「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。」という言葉のもう一つの証は、私に洗礼をしてくださった内野重人牧師です。今から50年前です。まだ社会福祉が整えられていない時代の日本です。ましてや知的障がい児の施設などは稀有な時代です。幼稚園に知的障害の子供を入園させて欲しいと親がきます。先生はキリスト教ヒューマンニズムからでしょう。入園させましたが、時代が時代ですからうまくいくはずがありません。そして、この子をどうするかという壁に追い詰められて、知的障がい児施設を作る決意をし、実行に移します。「霞が関を歩き回っていたら、帰りの夜行列車で靴を脱いで、朝、履こうとすると、足が入らなくて裸足で帰ってきました。ハッハ・・」と話されたことを懐かしく思い出します。

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そういう努力を重ねて、友人の若松バブテスト教会牧師で、政治家であった吉田敬太郎牧師の助けがあり、日本船舶振興会を紹介をいただき、財団から支援金をいただきました。そして知的障がい者施設が建ちました。日本船舶振興会は競艇の収益をもって支援していましたから、多くの牧師から博打で稼いだ金のおこぼれを内野さんはもらって建てたと、牧師のすることではないと批判をくらいました。そんなとき、ぼっつんと「竹田君、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。とイエス様はいっておられますね」と寂しそうに私に話されたことを思い出します。イロニーに富み深い魂の真理にふれたように思います。イロニーと苦悩とを押し隠して、施設の建設に徹する先生の覚悟を見て、信仰者とは、こういう者であり、また牧師であるということはなんとすばらしいものかと感じ、牧師になろうと献身しました。先生も博打の競艇からの金であることは重々知りつつも、今、ここにいる知的障がいの子どもをどうにかしなければならない祈りが、屈折した矛盾に悩みつつも、「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。」というイエスさまの言葉を励ましの言葉として、自分が、知的障がいの子どもの友となろうとしたのではないかと感じました。

「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

刈谷教会建築に献金をいただき、建設途中に献金者佐々木氏が天に帰られたので、完成の報告とお礼へ上宮寺・佐々木家の墓にいきました。お墓と言われなかったら分からない無造作に焼却炉のようなコンクリートで作られていたお墓であったと思います。神と富を兼ね備えた大いなる矛盾をもちつつ、イロニーと苦悩とを押し隠して、仏教の教育に徹する覚悟をみるお墓でした。ここには名誉も、学識も、富も、名さえもない、焼却炉のようなコンクリートの墓です。この墓との出会いは、最後は、「神と富とに仕えることはできない。」という覚悟を感じました。奥さんに「なぜ、墓に名を刻まないのですか」と聞くと、「寺の法名に記されているので大丈夫です」と答えられました。聖書的には、「命の書に名を記されている」というものではないでしょうか。世に名を留めるのでなく、天に名を留める。つまり、世、富、名誉、学識でなく、神に自分をゆだねるという覚悟です。神に仕える生涯を送ったものの覚悟です。「富よ、さよならといえるように」なることこそ恵みを喜ぶ人生です。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

 2019年から新型コロナウィルス感染流行が始まり、今日まで至っている。今年、3年ぶりに幼稚園の年長さんは一泊二日のリンゴ狩の旅に出かけた。

2020年に、パオロ・ジョルダーノ氏が「コロナの時代の僕ら」という本を書いている。「僕は忘れない。・・・・・・先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。」と書いているように、まさにこの言葉は私だったし、今の私だと思っている。この言葉を心に刻みつつ、用心に用心し、準備に準備をして旅を決断した。

今、新型コロナウィルス感染対策も変化しようとする時、「今のうちから、あとのことを想像しておこう。«まさかの事態»に、もう二度と、不意をつかれないために」という彼の言葉を噛みしめている。

園長・瞑想?迷走記

 わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。聖書

夏休みも終わり、2学期に入っています。年長さんは一泊保育の信州・清里へのりんご狩りに出かけました。みんなで、運動会、クリスマスの劇と子どもたちは、行事を重ねていきます。日常とは違う行事を通して、私たちは子どもたちのいろいろな可能性に気付く学期でもあります。

決して喜ぶことの出来ない状況にあっても、喜ぶことの幸いについて語っている聖書に喜びの手紙という箇所があります。経験したことのない新型コロナウィルス感染以来、子どもたちも行動を制限され、悲しみ、苦労の日々で喜ぶことの出来ない状況にいます。しかし、聖書はいかなるときも神がともにいてくださるという信頼に立つとき、今まで見えていないことが見えてくる幸いを語ります。だから喜びを生きることが出来るのです。今学期も、子どもたち、みなさんとご一緒に喜びの日々を歩めることを神さまは、私たちにお約束されています。                               「10月の園だより」より

(👆 薄っすらと富士山が見えます。清里・清泉寮)

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日毎の糧

聖書:万軍の主よ、あなたのいますところは/どれほど愛されていることでしょう。     詩編84:2

ルターの言葉から

私たちの救いと生のすべては神の憐みのうちに置かれ、包まれている。私たちが現にあり、生きているのはただ恩恵によるのである。

『卓上語録』M.ルター著、植田兼義訳、教文館

神のみ国なれば

 「ここも神のみ国なれば(讃美歌90)」という好きな讃美歌があります。「ここも神のみくになれば、天地 み歌を 歌いかわし 岩に樹々に 空に海に たえなるみわざぞ あらわれたる」という歌詞は、まさに詩編84篇を表現しています。

神学生時代にICUの食堂でアルバイトしていて、夜、真黒なICUの林を抜けるとき怖くなり、「ここも神のみ国なれば(讃美歌90)」という讃美歌を歌って、林を抜けていました。

詩編84篇の詩人は、「私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。」と詠います。それは、「あなた(神)のいますところは/どれほど愛されていること」ということを知っていたからです。ここは、「たえなるみわざぞ あらわれたる」ところです。

確かに私たちの人生がいつも平安のうちあるはずがありません。しかし、私たち信仰者は、たとえそうであっても神のいますところは/どれほど愛されているかを信じるのです。だから、「ここも神のみくになれば、・・・・・・たえなるみわざぞ あらわれたる」と讃美できるのです。暗い闇夜の道を通り抜けるとき、「ここも神のみ国なれば(讃美歌90)」と詠ってみませんか。

嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。84:7

祈り:神がともに私といますことを信じる者となりますように。

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大森通信

「大森ルーテル教会70年史」30

神学校を支えて

 日本ルーテル神学大学、神学校は、定員割れをして、学校存続の危機があった。そのために大学の内部改革をして、1976年に福祉コースを作り、1987年には福祉科を作り、ルーテル学院大学に改組した。

一方、教会と大学・神学校は、協定を1990年に結び、互いに協力をしていくことにした。教会の協力金の一部は大学の運営にあてられたり、その他、時々に教会は大学の運営に責任をもってきた。

1976年から5年間、「一億円基金」設け、募金運動をした。信徒運動として目標を達成した。当時、募金に協力した方々の名前が礼拝堂に入る前のロビーに飾られている。

1982年、「後援会」が再発足し、いまも大学・神学校を支える信徒運動として活動を続けている。私たちの教会も総会で後援会委員を選出し、委員は教会と学校を結ぶために努力をしている。

1998年から大学院設置のための図書館増築募金9000万円、また2006年には神学校寮設置のために9000万を募金目標とし、約一億円を募金され寮が出来た。このように教会は大学・神学校と共に歩んで来た。

一方、「一日神学校」、各教会への「講壇奉仕」など、大学・神学校は教会へ提供し、結びつきを強めた。

この歴史は、また私たちの大森教会の歴史でもあった、今も私たちは、「神学校献金」を特別に設けている。また、神学生を応援している。大森教会は大学・神学校と共に歩んできた。

(大森日記))主日の準備。)体調が優れず、近くの方の訪問を神学生とし、少し遠い方はY兄と神学生に訪問をしていただく感謝。)幼稚園事務のため午前中は羽村、午後からは大森に。少子化で品川区立a幼稚園の廃園で当園で受け入れられるかどうか区と懇談。)デンマーク牧場福祉会の小舎制児童施設建設の起工式。時代の変化を感じる。)午前中、羽村幼稚園に行き、帰りに大企業から地方の会社に転職した方と食事。時代の変化を感じる。)コロナ感染で行くことができなかった幼稚園年長さんのりんご狩り。3年ぶりに清里、信州へ。)清里を出発して、信州、そして大森。時代の変化の風を感じる一週間であった。

(👆 デンマーク牧場福祉会の牧場)