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おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。(20日~26日)

おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。

)眠れないので、頼まれた説教原稿と向かい合っていたら、3時までかかった。朝、家内に推敲してもらうと。家内:「ただルターの引用だけじゃん」私:「ルターに惚れていると言って欲しいね」家内:「ただルターに頼っているだけじゃん。」と返される。破棄していつまでも置いていたPCを信徒さんに診てもらい直るなら直して欲しいとお願いしていたら直してくださり、朝、もって来て下さる。感謝。「歎異抄」の解説本を読んでいたら、これって一度、読んだことがあると気付く。しかし、そのとき気づかなかったことに今回、多く気づきがある。時があるのだろう。読んでいると親鸞とルターの信仰の論理に共通性を感じる。違う論理が拮抗し、交錯しながら、同時成立しているという同時性は共通している。同時性が極端な論理となって時代をえぐっていく。

)雨で教会学校出席者は少ないだろうと思っていたら予想通りである。礼拝は通常通りだがなかなかもとに戻らない。女性会の総会、女性会も時代に問われている。変化していく時代である。夕礼拝に久しぶりに夫妻がきてくださった。やはり熱があってなかなか来られなかったと。

)少し、朝寝坊をし体を休める。いつものように教室、庭をチェック。恩師と昼食をし、昔話に時間を過ごす。家内とやっと電車に乗れるようになった。毎日の鍼灸院にいっているがやっと効いてきたのか。しかし、買い物は私がいくようにしている。労り労われながらの歳になった。「聖書のまなび」の準備し、zoom招待を送る。月予定表の作成完成。もう2月。早い。

)すもう大会。負けた悔しさもあり泣く子もいる。次は頑張ると言いながら涙がいっぱい。こういう体験ができる子どもたちは幸せだと感じる。

)幼稚園の誕生会の仕事を終えて、家内のお菓子をもって、誕生日の方を訪問。「これが最後ですね」と言われ、きゅんとくる寂しさを感じる。引退を前にしてお世話になった方へ時間を見て、訪問することにしている。第一回目として茨城まで行く。祈り、聖餐を共に生きる。一つの出会いを通してよくここまで歩んで来られたと感謝している。寝ながら他園のことが気になり寝つきが悪い。

)主日の準備をする。そして、幼稚園の事務処理をする。聖書の学び、共に祈る。「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。」というみ言葉にこのように最後まで主を畏れて歩みたいと祈る。お世話になっている親しい方と夕食を別府時代に引退牧師夫人から教わった豚のバラ肉とほうれん草の「貧乏鍋」をする。45年前は豚のバラ肉もほうれん草も安かったが、今、両方、高く。「高価鍋」になった。もてなすに相応しいだろう。

)花を植え替えていると土床に奇麗な透き通った白い霜柱。長男の説教に心動かされたお礼の電話をいただく。知らないうちに子どもたちは遠くにいる。説教で始まり説教で終わった一瞬間。引退まじかという事か。