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洗礼の日

バルナバ T・K

私は、クラシック音楽の研究、特にバッハをはじめとするドイツの宗教曲を専門に研究している研究者です。本日、主の降誕日に洗礼を受けました。46歳の「遅い洗礼」です。
しかし46歳になるまで、まったく主の導きがなかったのかというと、そうではないと思います。幼少の頃、杉並区のカトリックの幼稚園に通い、降誕劇に参加したこともありました。また、小学校3年生のときに父の仕事の関係で、イギリスで2年間を過ごし、現地のパブリック・スクール(小学校)に通いましたが、週に一回、聖書を学ぶ授業があり、給食の時間には必ず校長先生の導きでお祈りをしました。また、大学生の時は、バッハ研究を志すようになり、宗教曲の歌詞の意味を理解しようと、聖書を読む時間も少なからず持っておりました。そして、ハンブルクに1年間留学したときは、何度となくルター派教会の礼拝に出席しました。つまり、これまでキリスト教に触れる環境はたびたびあったのです。
そうしたなかで、いまから思えば一度だけ、「神様の力」、「神様によるお守り」を実感する重要な経験がありました。それは、20代前半の大学生の頃の話です。今日は、このときのことをみなさんにお話ししたいと思います。

■五反田での出来事
そのとき、私は当時通っていた明治学院大学から、最寄りのJR五反田駅を目指して、「桜田通り」の歩道を歩いていました。ご存知のように、桜田通りは大きな車道で、交通量の多い通りです。私が歩いていたのは夕方ごろで、交通の量も激しかったことを今でも覚えています。五反田駅近傍のこの通り沿いにNTT東日本が運営する「関東病院」があります。当時、この病院は、まだ「関東逓信病院」と呼ばれていましたが、この辺りに横断歩道があり、その横断歩道をわたると電波新聞社の建物があります。こうした説明から、実際の場所をご存じの方は、どのあたりか、具体的に思い浮かべることができるかと思います。
私がその病院の辺りにさしかかったとき、私の進行方向のあちら側から、3歳くらいの男の子が独りでヨチヨチと歩いてきました。男の子の近くには、付添いの大人の姿は見えませんでした。桜田通りは、片道5車線もある大きな通りですから、車道と歩道の間には必ず「横断防止柵」が設置されています。私もその男の子も、その柵に沿って歩いていました。お互いの距離が3メートルくらいになったところで、私は、このまま進めば彼と衝突することになりますが、すれ違うときに男の子を避ければ、特に問題はないはずだと思いながら歩いていました。しかし、3歳くらいの子供は、大人の予想を裏切る行動を取るものです。その男の子も私の存在になんとなく気づいたようで、このまま行くとぶつかると思ったのでしょう。彼は突如、歩く方向を右90度に、直角に曲がったのです。通り沿いには横断防止柵があるので、普通なら問題は無いはずですが、90度右に曲がった彼の目の前には、ちょうど前述の「横断歩道」が広がっていたのです。それも歩行者停止の赤信号の横断歩道で、自動車は5車線すべて、ひっきりなしに走っていました。男の子は、その横断歩道にむかって突っ込んでゆこうとしていたのです。
私はビックリして男の子のほうに駆け寄り、手を伸ばし、つかまえて歩道の方へ連れ戻そうとしました。ですが、車は普通にビュンビュンと走っていますので、伸ばした手が走ってくる自動車に当たりそうで、正直、怖くて腰が引けてしまいました。しかし男の子は、ヨチヨチと横断歩道を進もうとしています。私と男の子との距離は、どうみても私の腕の長さではわずかに届きそうにありませんでした。あと15センチほど足りないのです。正直、もう目の前で男の子が車にはねられて、宙を舞うという最悪のケースを覚悟しました。それは起こってほしくないのですが、もう一歩進めば、私が車にはねられそうなのです。そのとき、私は目をつぶり、心のなかで「神様!」と叫びながら、思い切って右手を伸ばしました。でも、この15センチは遠く、私の手は男の子に届くはずはないと思いました。ところが、次の瞬間、なぜか右手に感触がありました。私は、もう彼の服をむんずとつかんで手繰りよせ、彼を自分の懐に抱きかかえ、そのまま、後ろにひっくり返りました。男の子は、見ず知らず大学生(私)に、急に抱きかかえられたので、ビックリして泣き出しました。男の子は、車にひかれずに済んだのです。
「わあわあ」と泣いている男の子のところに、お母さんらしき人物が駆け寄ってきて「どうもすみません」と軽く言って、男の子を連れてゆきました。正直なところ、私は、命がけで「息子さん」を救ったのに、そんな軽いお礼だけかと、拍子抜けしてしまいました。ですが、まあ、とにかく事なきをえてよかったので、お母さんに「微妙な会釈」だけをして、私はふたたび五反田駅にむかって歩き出しました。すると、長身の男性が私に近寄ってきました。その男性の風貌はというと、髪毛は短いパンチパーマ、黒のサングラスに、口髭、上下黒のスーツに、茶色の長いトレンチコートを羽織っていました。ひと目で、特定の「自由業の方」だとわかる服装です。その男性が私の肩をポンとたたき、「おにいさん、勇気あるね」と、ひと言だけ声をかけて去って行きました。見てくれる人は、見ているのだなと思いました。

■キリストとの出会いに目をつぶった私
さて、私が本日、この約20年前に五反田で起こった出来事をお話ししたのは、単に私の英雄伝を披露したいからではありません。実は、この出来事は、その後、ずっと私の心の中に、トゲのように刺さったまま、気になっていました。気になっていたのは、絶対に届くはずがなかった男の子に、なぜ私の手が届いたのか、ということです。あれは、絶対に届くはずがなかった。しかし目をつぶって「神様!」と心の中で叫んで、手を伸ばしたら、届いたのです。重ねて言いますが、あれは絶対に届くはずがありませんでした。絶対にあの男の子は、車にはねられると思いました。だから自分の実力で、あの男の子を救ったという実感がないのです。
自分の実力で救った実感がないので、自慢話として話す気になれないまま、20年が過ぎました。実際、他人に話したことがなくて、出来事の当夜、家に帰って母親に話したのが1回目、今回の「証し」の原稿をまとめている最中に、傍らにいた妻に出来事の顛末を話して聞かせたのが2回目、そして3回目に話したのは今日、このクリスマス祝会です。これは別に私が奥ゆかしい性格で、自分のことをあまりひけらかさないタイプの人間だからではありません。先日、私は『バッハ・古楽・チェロ:アンナー・ビルスマは語る』(アルテスパブリッシング)という翻訳本を出版しましたが、この本はたいへん好評でして、日経新聞・夕刊(2016年11月24日付)の文化欄で、必読の推薦書に選ばれました。このように、私は自分の業績を、平気で他人にひけらかすことのできる人物です。
話を戻しますと、男の子を救ったのは、私の力でないとすると、いったい誰の力なのでしょうか? 私は手を伸ばす瞬間「神様」と叫んでいますから、これは神様のお力に違いありません。
ところが、これほど神の力を「劇的」に知る機会があったにもかかわらず、そのときの私は洗礼を受けていません。当時の私は、ちょうどバッハの研究者になろうと、決意を固めていた時期でした。そして若い頃の私は、信仰と研究は相いれないものと考えていました。研究は、研究対象を客観的に見て、分析し、結論を出す作業です。それに対し、信仰というのは主観的なものです。神学には時折、論理の飛躍が見られますが、研究や学問は論理の飛躍を排除します。特に私が選んだ研究テーマは、バッハの宗教音楽ですから、信仰や神学と関係の深い分野なので、余計に注意が必要だと考えていたのでした。
しかし時間とともに研究と経験を積み重ねてゆきますと、私の若い頃の思い込みは徐々に修正されてゆきました。たとえば、神学に見られる論理の飛躍とは、まだ人間が解明できていないこと、あるいは説明のできない箇所のことであって、被造物に過ぎない人間は限界のある存在なので、わからないことがあること自体は当然ですし、悪いことではありません。それから、そもそもバッハ研究をリードしているのは、ドイツやイギリスの研究者たちです。つまりキリスト教国の研究者が、高い学問レベルを維持しているわけです。そうした欧米の研究に触れれば触れるほど、学問と信仰は「両立するもの」、「両立できるもの」と考えを改めるようになってきたのです。

■キリストとの出会いに気づく私
学問と信仰のとらえ方に変化が出てくると、あの五反田での出来事のとらえ方が変わってきました。以前は、あの出来事を「訳の分からないもの」とし、むしろ「忘れてしまおう」としていました。しかし、男の子に手が届いたのは、素直に「自分の実力を超えた力」、「見えない力」、「神様のお力」によるものだったと気づいたとき、あの五反田での出来事が、実に率直に受け止めることができるようになりました。神様は、あの「小さき者」の命を守るために私を用いてくださったのです。そして主は同時に、目前で「小さな命が散る」という最悪の出来事に私が直面しないよう、私をも守ってくださったのです。まさに主イエスこそ、私のキリストです。あのとき、もし神様のお力が働かなかったらと思うと、実に恐ろしいです。いや、洗礼によって救われた今、この「もし」の場合を思うことはないと言うべきですね。そして、私という人間の力を超えた「主の力」が働いたのですから、自分のお手柄話として、言い触らすことができないというのも当然なのです。

* * *

こうしてキリストが私を守ってくださっていたことに、ようやく気付いた私は、その救いに与りたくなりました。キリスト教には様々な教派がありますが、私がルーテル教会に巡り会えたのは、(1)研究テーマであるバッハ研究を通じてのことと、(2)徳善義和先生や江口再起先生のルター研究所の公開講座を通して、ルターによる宗教改革(教会改革)に接したこと、この2つのきっかけからです。
その後、さらにルターを通してキリスト教を学びたい、もっと主を知りたいという気持ちから、徳善先生の授業で出会ったTさんにお願いし、大森教会の「聖書を学ぶ会」に参加しました。そして、竹田孝一先生のご指導のもと、同席のTさんやYさんとの対話のなかで、これまでお話ししてきた内容がだんだんと明瞭な信仰へと変えられていったことに気づいたのです。主の強いお導きを感じています。
20年前、私はまさしく強い形でキリストと出会っていました。それにもかかわらず、私の人間ゆえの限界から、それに気づくまで、20年の歳月がかかりました。しかし私の主は、放蕩息子でさえも暖かく迎え入れてくれる「やさしい天の王様」です。こんな愚かな私にも、寄り添いつづけてくださると信じます。ですから、安心して救い主イエス様に自分をゆだねることができます。