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おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さまの前でぐちります。 ぐちらない聖人(牧師)もいますが。(2月25日~3月3日) 

おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さまの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。 

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)教会の仕事も終わり、掃除をし、久しぶりに出張から帰ってきた友人と話、夕食を一緒にする。こんなことも後、どのぐらい続けられるであろうか。残された時間がないことをひしひしと感じている。

)この頃は、土、日曜日になった。履きながら自分を見つめつつ、心の狭さにいつも嫌気がさす。夕礼拝、少し時間が長くなった。30分に以内におさまるようにしないといけないと思う。残り一年という力みであるかも。

)大森幼稚園の施設評価委員会、保護者役員会、仕事をしているとH市の園長会を忘れていた。右足が痛いが慌てて出かける。長時間の同じ体勢はきつい。「なぜ私たちは生きるのか-シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話」という本をもって出かける。シュタイナーは、シュタイナー教育でよく知っていたが、神学という組み合わせに面白さを感じ読んでいたら、人間が肥大化し神のように振る舞いエゴの追及の結果、欲望は、肥大化「見えるお金が見えない心を縛る」というところまできて生きづらさを引き起こしていると指摘をし、「目に見える世界の外に、目に見えないものがあり、それにふれることで愛の力が信じられる。それが、わたしたちの生きている意味なのかもしれません」と結ぶ。神の愛を伝える伝道に疲れてはいけないと勇気づけられる本だった。

)門に立っていると保護者から、「園長先生の園だよりの‘いつでも幼稚園に帰ってきてください‘という言葉に励まされました。親も帰って来ていいのですね」と声をかけられた。そういう幼稚園でありつづけたいと引き継いでいこう。幼稚園の保護者総会。

)教会の大切な働きがあるので、昼食を食べてすぐにH幼稚園に3月の「聖書のまなび」に出かける。今日も労務管理の整備、学年末の始末。疲れ切って帰宅。右足の筋肉がさらに張っていて痛い。孫を家内が預かったので、「どうだったか」と聞くと家内らしい孫のあしらい。若かったときの子育てを思い出す。確定申告の準備。)いつも庭を手入れされている信徒さんと草取りと春の訪れを見る。足を引きずり、一緒に昼食へ行く。足がどうしようもなく痛く、かかりつけだった接骨院行く。聖書の学び,「山辺にむかいて」の121編は砂漠の聖書の世界、一神教と森林の日本人、森羅万象に神がやどるという感覚の違いをあらわす詩篇。受け取り側によって変わる典型的詩篇だと思う。

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)どうしても痛みが残るが、これも老化と受け留めて、今日を、今を生きようと思う。主日の礼拝の準備完了。讃美歌21の「善き力にわれかこまれて」という讃美歌と出会い感動。今週もよくここまで生きられた思う。昔の事ばかりが懐かしくなる。そろそろ旅立ちかな。