聖霊降臨後第11主日(8月21日)「幸いを願う」
主は常にあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。 イザヤ書58:11
実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。 へブル書12:29
群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。 ルカによる福音書13:17
【説教要旨】「幸いを願う」
「風のように」、「手紙」に温かい、はっと自分を気づかせて下さるご返事をメール、手紙、電話でいただきます。
「『功績主義』ではなく、祝福主義の主の眼差しに委ねて・・」という言葉は、はっと自分を取り戻せる言葉をいただいた。
「聖書の世界は、成功でなく祝福であると・・・」と説教しながら、つい、なにかをすることに私の心が動き、たとえ私がどうであれ神の祝福のうちにある、素晴らしき日々であったということを忘れていた自分に気づかされました。牧師になって、43年、つい何をしてきたのだろうと振り返ってしまいがちですが、振り返ってみるとなんとここまで神の祝福の素晴らしき日々であったかと思うとその風景が変わってきます。
名古屋での宣教のとき、信徒の中心メンバーだった新聞社に勤めていたⅯさんとカラオケに一緒にいっていました。そしてよく歌うのが「風来流れうた」という歌でした。「好きなんですよ」。「『どうにかここまで 生きてきた 自分をほめてやれ 』という繰り返しが」と言われていました。たしかにどうにかここまで生きてきた人生がある。それを自分をほめてやる祝福の人生だったと感じられるときほど幸せなことはないのではないでしょうか。
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本日の第一日課は、イザヤ書56章から66章までを書いた第三イザヤです。バビロン捕囚を解かれ、徐々にイスラエルに帰還しはじめましたが、帰還する人数は少なく、帰還者は貧しく、現実は厳しいどうにか生きているという状況にありました。第三イザヤは苦しんでいる民を前にして、神の救いを語るのです。救いは、安息日を守ることによって明らかにされていくと強調される。安息日を厳守することは、イエス様の時代まで、そして今日まで続いています。
安息日をめぐってイエス様とユダヤ指導者の間で論争があったことはマルコ福音には特に詳しく記されています。
安息日を守るということはどういうことなのでしょうか。
主は常にあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし、骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。
どうにか生きている私が、安息日を守ることによって、み言葉を通して、神の導きと救いを与えられるということです。
「主が次のようにいわれた天地創造の最後を指し示しています。『神はお造りになったすべてのものをごらんになった。見よ、それはきわめてよかった』(創世記1:31)。こうして安息日は始まりました。その日はご自分の造られたすべてのものに対する、神の喜びの日です。思い巡らし、祝福する日です。では、このおきてでいう休息とは何でしょうか。それは思い巡らす機会であり、逃避ではなく讃美の時です。現実を見つめ、生きるとはなんとすばらしいことかと、感嘆するのです。現実逃避としての休息に対して、おきては休息を現実の祝福と受け止めています。」
と教皇フランシスコは安息日を説明し、主日に次のように説明します。
「わたしたちキリスト者にとって、主の日、日曜日の中心は『感謝』を意味する、感謝のミサです。『主よ、感謝します。いのちを、あなたのいつくしみを、あなたがくださったすべての恵みを』と神に伝える日です。主日は、それ以外の日のことを忘れ去る日ではなく、それらの日々を思い起こし、感謝し、人生を肯定する日です。気晴らしの機会が多くとも、人生を肯定できずにいる人がいかに多いことでしょう。すばらしきかな人生。たとえ楽ではなく、つらい日があろうとも、すばらしきかな人生-そういって肯定する日が主日です。」(十戒・主の祈り-教皇講話集)
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神の導きと救い-恵みを与えられるのが安息日―主日です。
群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。ルカによる福音書13:17という日となるのです。
Mさんは忙しい新聞社に勤めていましたが、よっぽでない限り、主日の礼拝を休むことがありませんでした。それは、主日の礼拝を休んではならないという律法に従おうとしたのではなく、主日の礼拝を恵みの時、祝福の時としてどうしても「群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。」というこの群衆と共にイエスさまと共にいたかったからではないでしょうか。
神に救いを求めつつも、罪を犯している自分を悔いつつ、どうにかここまで 生きてきた 自分がイエス・キリストの焼き尽くす日によって聖化され、自分をほめることが出来るものとして肯定されている自分を取り戻す喜び、神の私たちに幸せを願いに与りたかったのです。
フランシスコ教皇は安息日、主日をさらに次のように語りかけます。
「安らぎは選びとるものです。押しつけられたり、偶然手に入るものではありません。・・・・・・・事実、真の安らぎとは、自分人生を変えることではなく、その人生をあるがままに受け入れ、その価値を認めることなのです。・・・・・・・・・・・・・どんなときに、人生はすばらしものとなるでしょう。それは、それがどんなものであったとしても自分の人生についてじっくり考え始めたときです。疑いと言うたまものが道を拓く時です。すべてが恵となる道を----。」
と語り、その聖なる厳かなときが安息日、主日であり、神の導きに心を拓く時で、人生はすばらしいものとなりますと語りかけます。
第三イザヤの時代、肯定出来ない民族の貧困、苦しみ、国を再建するには厳しい現実があった。しかし、幸いを語ります。
13安息日に歩き回ることをやめ、わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日と呼び、これを尊び、旅をするのをやめしたいことをし続けず、取り引きを慎むなら、14そのとき、あなたは主を喜びとする。
喜びの安息日、神に心開き、幸いを得よと。これこそ真の休息と。
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牧師室の小窓からのぞいてみると
8月15日、敗戦記念日。それで戦争が終わったのではないと思う。
戦争が終わり、孤児となった子どもが、上野駅に集まって生きていた。「NHKスペシャル«駅の子»の闘い~語り始めた戦争孤児」という番組が今も忘れられない。 生きるために盗みもしなければならなかったし、多くの子は栄養失調で死んでいったという現実があった。
「みんな飢えていて、何に飢えていたかというと、食べ物に飢えてた、着る者もなく寒かったけど、本当に欲しかったのはぬくもりです」というその一人の証言に、心から申し訳ない気持ちになった。申し訳ない心を忘れずに生きていかないと思った。戦争のない平和の日々を作るためにどんな努力をしても、努力が足りるということはないと肝に銘じていきたい。「 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」というイエスさまの言葉を心に刻んでいきたい。
園長・瞑想?迷走記
保育のことで、S先生に相談したとき、印象深い言葉がある。
「子どもがこどもを保育していくの。保育者が保育をするなんて可笑しいよ」。「子ども自身に成長する力があるの。保育者は子どもを導くのでなく、見守るの。」
心理学者、心理療法士の河合隼雄氏もこんな言葉を言っている。
「指導や助言も効果がなく、病因を探し出す方法も有効でないとすると、どのような方法を用いるのがよいのであろうか。それは治療者が治療するのではなく、患者自身の治る力を利用することによってなされるのである。このことは心理療法にとって極めて大切なことでもあるが、なかなか理解されない・・」
育つ力、治る力はその子、その人自身にあることを忘れてはいけないが、なかなか理解しようとしないで、導こうとする自分を反省している。「育ててくださるのは神である」という聖書の言葉を常に心に刻みたい。
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日毎の糧
聖書:神よ、わたしの叫びを聞き/わたしの祈りに耳を傾けてください。 詩編61:12
ルターの言葉から
真の祈りのあるべきところには、真剣味がなければならない。自分の悩み、しかも私たちを圧迫し駆り立てて、呼ばわり叫ばしめるような、そうした悩みを感じることがなければならない。かくてこそはじめて、祈りは本来あるべきとおりにおのずから発せられ、そのためにどんな準備をなすべきか、どんな敬虔の念をおこすべきかなどという教えはいっさい不要である。
『ルター著作集第1集 8』 「大教理問答書」 福山四郎訳 聖文舎
叫び、祈る
祈りは、神さまとの対話です。フランシスコ教皇は次のように語りかけます。
「イエスは、祈りによって人の意欲をそごうとしているのでも、おとなしくさせようとしているのでありません。また、すべて耐えることを学ばせて、疑問や要求を押し殺させようとするのでもありません。イエスはむしろあなたが、どんな苦しみも悩みもすべて天に投げて、それが対話となることを望んでおられます。信仰をもつとは、叫び上げることが習慣化することだ、といった人がいます。」(十戒・主の祈り-教皇講話)
詩人は、心が衰え果てるときがありました。地の果てという疎外された孤独の中にありました。私たちは自分に起きる日々の出来事にあって、例えば病気などによって、心が衰え果てる神から遠いという地の果てに追いやられたようなことがありました。しかし、詩人は叫び、耳を傾けてくださいと祈ったのです。
神への願いの祈りこそ、信仰者の神への信頼の祈りであって、祈るとき既に救いの中にあります。叫び、求め、祈りましょう。
祈り:祈りをくださり感謝いたします。共に祈る者となりますように。
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大森通信
「大森ルーテル教会70年史」28 印刷物の変化 日本語のワープロは、1978年に東芝から実用化されたが、630万円であった。その後改良され、1980年後半から持ち運び可能までなり、価格も5万円前後になり、教会に普及してきた。私が使ったのはソニーの印刷機と本体がセパレート型のワープロで、スマートであった。ファックス製版機の普及、1980年代にはリソーが製版と印刷を一つの機械で行える印刷機を開発し、またコピー機の印刷単価が安くなり、ワープロの普及と合わせて教会の印刷物が劇的に変化していった。 1980年代からパーソナル・コンピューターが開発され、1990年後半にはワープロからパーソナル・コンピューターで、原稿物は作られるようになった。また、インターネットの普及はそれを後押して、2000年にはワープロは教会から消えていった。 大森教会は、1995年にパーソナル・コンピューターとインターネットを活用した新しい伝道を徳弘浩隆牧師によって、開始されていった。 2019年から始まった新型コロナ感染のパンデミックにより、紙からメールを含め、ウェブサイトによる伝達へと大きく変化した。福音を伝えるために教会は技術革新の恩恵をごく当たり前のようにいただき、使っている。さらに時代の大変化のなかで、福音の伝え方もまた新たな展開がなされていくだろう。 |
(大森日記)土)コロナ感染状況が厳しく、木曜日には主日の準備が終わり、聖書の学びの準備が出来る。日)平和主日。Zoom、YouTube配信の礼拝参加者が増える。夏バージョンの教会学校、蝋燭作り。月)幼稚園は盆休み。園具の塗装工事が始まる。敗戦記念日。CSの準備。火)休み中だが、業者、電話がある。43年間、ここまで来られて感謝。水)早朝に起きて主日の準備。その後、羽村幼稚園に次年度の打ち合わせ。掃除している躓き、あざを作る。木)激しい雨。掃除をすることなく主日の準備し、完了。金)暑いが過ごしやすい。体調が整えられますように。