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主の洗礼日(1月7日)「すべての基」

天が裂けて、霊が鳩のようにご自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。マルコによる福音書1:9

【説教要旨】     「すべての基」

大変化し、激動している世界への船出の2024年が始まりました。元旦は、能登の大震災が起きて、何かを予見しているように思えてなりません。こういう時ほど、キリスト者として、私たちが日常の生活でどう生きていくかという生きざまを問われていくわけです。今日の主の洗礼という物語は、激動してる世界にある私たちの不安の呪縛を解き、心の解放をもたらすことについての神の語りかけによるキリスト者の生きざまがしめされています。

ルターの多くある逸話の中で好きな話がある。

かつてウィッテンベルクのルターの家にひとりの貧しい女が召使として働いていたが、この女はのちに堕落し非常に惨めな状態に陥った。ルターは彼女を訪ね、なぜこんなになったかを尋ねた。「だんなさま」彼女は答えた、「私が惨めになったわけですか。私は神から離れて、悪魔に私をまかせたのです」と。そこでルターはいった。「それはいけないね。エルサ。いいかね。君はここにあるこのお金や書物や服をフロリンス君にくれてやることができるかい」「いいえ、それは私のものではないんですもの。」「そうだろう。できないね。君もそのとおりだよ。君はイエスさまに救われている。君はもう君自身のものではない。洗礼をうけて、主のものとなっているのだ。だから、自分を自分でかってに悪魔にわたす権利はないんだよ。さあ、悪魔との契約を破棄なさい。そうすれば神さまが熱い火を悪魔の上においてくださる」と諭した。

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洗礼、キリスト者となるとは、神が、あなたを救うために選ばれた救いの手段であるということを伝えるキリスト洗礼の物語である。それは、洗礼を与えられたものは、主のものとなっていることだという。ここに私たちの存在のすべてがある。洗礼の恵みがある。常に洗礼の恵みが私たちを支えていることを忘れたくない。神の子であるイエスさまが洗礼を受けると同時にイエスが聞かれた「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天の声に聞くということは、主イエスは、ご自身がその洗礼をお受けになることを通して、悔い改めのヨハネの洗礼を、救いの洗礼へと質的に転換されたという意味がここにはあります。私たちが信仰者となる洗礼は救いの洗礼であるということです。

洗礼を受けてキリスト者となっていくということは、神の声を受け容れ、信じていくということです。私が、どんな人間であれ愛された者であること、神のみ心に適う者であるということです。これは「天から」とありますように、一方的な神からの恵、贈り物なのです。自分が愛されているということはなんという平安でしょうか。それも神に愛されていることです。年の初めにあたり、私たちは今一度、「あなたはわたしの愛する子」という天からの恵に感謝しましょう。そして、私たちはこの神の愛、恵に依存していくことに自分を置いていけるのです。一人だに、神に愛されない、恵をいただかない者はいないということです。ここからの一歩が私たちの初めであり、基です。自分が神さまに愛されている存在であるという信頼に徹底的に立つこと、この神の愛に支配されているのです。自分が洗礼によってどう変わったかと問うより、自分がこの天の声、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」をイエスさまとともに聴き、従うということです。むしろ、自分でも認識できないほど深いところで、自分の洗礼はわたしを支え、魂を支えているのです。起き上がりこぼしに据えられているような重心がそこにはあります。揺れても戻ります。

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自分が愛されているということを、または愛されているということに自分の重心があるのです。ルターは歴史の大きな流れに押しつぶされそうになり、信仰を失いかけたとき、幾度も幾度も「わたしは洗礼を受けている」と書いたそうです。洗礼という重心を持ちながら揺れても、もどる起き上がりこぼしのように、揺れる中で、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声を聞き、戻るのです。

ジャン・バニエという人が作ったラルシュ(箱舟)共同体があります。日本では静岡にあります。彼はカナダ総督の息子として生まれ、海軍士官になり、後にパリ大学で哲学を学び、トロントで哲学を教えます。そのころ親しかったトマ神父の影響を受け、哲学の教授をやめて精神障害のある二人の方と生活をはじめこの生活のなかで平安を得て、共同体を作っていきました。「愛するとは、その人の存在を喜ぶことです。その人の隠れた価値や美しさを気づかせてあげることです。その人に向かって、『あなたが生きていることは素晴らしい。私はあなたが生きていて幸せです。あなたの存在をとても喜んでいます。あなたは大切な、価値ある人です』ということを伝えることです」と彼は言っています。これが神の思いです。「私の愛する子」。

激変していく時代に合って、時代に適応することばかり考えるのでなく、自分の足元、自分の基を深く掘り下げていくことこそ、彼が言うように「人は愛されて初めて、愛されるにふさわしいものになります。そして何かができるようになります。積極的になります。愛されることによって、人はこの世界で何かを果たすことができるのです。」となるのです。

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の声が私たちにかけられています。私たちが一年を始めるに相応しい天からの声ではないでしょうか。

何かを果たすことが私にはできるのだという励ましを与えられつつ希望をもって、共に今年も歩んでまいりましょう。

神は働いておられ、私たちの基を創造してくださいます。

1初めに、神は天地を創造された。 2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 3神は言われた。「光あれ。」

こうして、光があった。 4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、 5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。創世記1:1ー5

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牧師室の小窓からのぞいてみると

忘れた頃にやってくるのが地震である。1995年阪神淡路大震災から復興が見えてきた16年後2011年東日本大震災が起き、復興が見えてきた5年後2016年熊本地震が起きて、熊本城の修復の完了みえてきた8年後に今回の能登の大震災が起きた。地球は地殻の活動期に入り、とくにプレートの際にある日本はますます地震が起きてくるだろう。特に関東大震災、東海・南海大震災が起きても不思議でない周期内にあると言われて久しい。

24:29 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。     マタイによる福音書24:29~31

コロナの感染パンデミック、技術革命の社会の激変とかさなり、終末観が蔓延するだろうが、私たちは不安の呪縛を解き、心の解放をもたらす宗教を根本的に変えていかなければならないと思う。

 園長・瞑想?迷走記                

年末の街角で卒園生とその家族に出会う。ご両親と一緒に会うと誰かは分かるが、成長した子どもたち、特に女子と出合うと誰がだれだか分からない。申し訳ないと思いつつも分からないほど成長した子どもたちが光っているのが嬉しい。嬉しいと感じながらこの中で病気や、人生の壁にぶつかり悩んでいる子もいるのだろうと思うと胸が痛む。ただ、強く心に思い、忘れないようにしている。

2024年、激変の時代がまた始まった。イエスはここにいて子どもたちを緑の牧場にきっと導いてくださると確信している。

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日毎の糧

聖書:生涯、神に従う者として栄え、月の失われるときまで、豊かな平和に恵まれますように詩篇72:7

ルターの言葉から   「人生とは一夜の宿り」 

 もし彼が心から信じるなら、キリスト者とは、私たちが学んだよう

  に、神からのすべての善き物を持つ神の子どもである。しかし、彼がなお生きているその時間とは、巡礼の時にほかならない。なぜなら、魂はすでに信仰によって天にあり、このことによって彼は、すべての物を支配する君主になっているからである。しかしながら神は、彼に肉において生きることを赦し、彼が他の人々を助け、その人々をも天に伴って来るようにと、他の体をこの地上にとどまらせることを認められる。このゆえに私たちは、旅の道の足を運び、その夜泊まらねばならない宿屋に着こうとする一人の旅客として、この地上のすべての物を用いるべきである。彼は食物と宿の主人から提供される一夜の宿りのほかは、何物も持つべきではなく、宿屋の主人としての繁栄を自分のものとして求めるべきではない。わたしたちもまた、このように、すべての時間的な所有物に、自分のものでないかのようにかかわるべきである。その多くを、肉体を支えるために必要なものとしてだけ享受すべきであり、その残りをもって、隣り人を助けるべきである。このようにキリスト者の人生とは、一夜の宿りにすぎない。なぜなら、私たちはここに住むべき都を持たず、父の住まわれる天に、それを見つけていかねばならないのである。この世全体は神を冒涜する。その少数の者だけ、しかも一番貧しい者によって神は崇められる。                

神に従う

2024年も劇的変化の日常を暮らすことになるだろう。しかし、私たちは世に生きるのでなく、天に生きるのである。だから世の課題を生きつつも、天における恵みを、栄えを生きるのである。それが、生涯、神に従う者として栄えるということである。そして、神からのすべての善き物を持つ神の子どもであるということであり、豊かな平和の恵みがある。

祈り)私たちを生涯、神に従う者としてください。

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大森通信

10.日々  

新年礼拝を終えてゆっくりしている夕刻、地震。揺れがいつもと違うと思っていたら、能登を中心とした大きな地震であった。大津波警報がけたたましくテレビから聞こえてくる。これは、他人事ではないと感じる。

金沢にいる姪にすぐにラインをし、安否を確かめる。卒園生の一家が金沢に転居されているので無事であることを祈る。

在任中、大きな地震が阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など大きな地震があった。1月の寒い冬であった阪神淡路、3月の寒い冬であった東日本大震災は、その当時のことが思い出され、寒さの中にいる方々がどうしているか気になってしかたない。この三つの大震災地には、ルーテル教会があり、ここを拠点として支援活動を直ちに行えた。阪神淡路大震災の時は早朝、三河の地でも大きく揺れた。大きな地震があったと気付く。伊勢湾台風を経験した地であったので何が必用であるかという事を体験していた。すぐに軽トラックを借りて、必要な物を届けたことを覚えている。今回、救援する拠点となる地域は名古屋、京都であるが、早い救援活動を起こして欲しい。私たちも指示待ちでなく何が出来るか情報をいれて、支援の体制を整えていきたい。

大森日記)教会の宣教協力についての会議。共に隣同志、歩む。)2023年最後の日、そして主日、礼拝出席は少ないが久しぶりに出席して下さった方などがおられ恵みの時、夕礼拝、除夜礼拝と続く。除夜礼拝には幼稚園の園児、親が加わって、年を越し、共に年越しそばを食べる。)元旦礼拝。二日連続の奏楽者に感謝。夜北陸で大きな地震。この寒空で投げ出された方々を思うと心が痛む。救援の速やかな対応を祈る。)主日の準備。掲示版の下のパンフレット作成。)幼稚園は今日まで冬休みで静かな時間が流れている。用事で出るといつものように卒園生、在園生、その保護者と出会い、ご挨拶をする。3月に引退することを報告し、これまでの支えに感謝を述べる。)幼稚園3学期が始まる。休み気分から日常の生活へ。これも良し。