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顕現後第3主日(1月21日)「福音を宣べ伝える」

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。         マルコ1:16

【説教要旨】

1月17日の早朝、愛知県刈谷市の牧師館も大きく揺れました。阪神淡路大震災です。その時から29年が経ちました。そして2024年の始まりの日、元日に能登半島の大震災が起こりました。この29年間は地球の中も大きく動き、また、地球の表を生きる世界も大きく動いています。私たちは今、また将来においても闇が覆っている不安を抱えています。

今日の日課は、イエスさまが弟子を召命する記事です。

「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。」

「湖」ということに注目したいのです。ユダヤ人にとって、海は混沌とした闇の世界です。湖は日毎の恵みをあたえるところであり、同時に混沌とした世界です。それは、ちょうど今の地球を生きる私たちの世界です。地球は私たちを支える恵みの場であると同時に私たちの足元を揺り動かして混沌の世界です。

「御覧になった。」という言葉に注目したいのです。この言葉はただ見たということでなく、じっと見られた、鋭く見たということです。心の奥までイエスさまは入り込まれたということです。恵みと命を取ってしまう混沌した世界で生きている漁師である弟子たちをじっとご覧になられているイエスさまの強い眼差しは、弟子の生涯、変わらずに注がれていったのです。

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「ついて来なさい」と「御覧になった。」という言葉を加藤常昭牧師はこう説いています。「これまでの生活から解き放たれ、新しい生活に踏み込んでいる。主イエスの目はそういう解き放つ力を持った目でした。急所を見抜いて、そこからもぎ放すようにして、新しいところへと移す目でした。その新しいところとは、父なる神の憐れみのなか、恵みのなかに生きるところであります。恵みの中へと引き出してくれる目であります」。

今の時代は、社会状況、精神状況において、混沌の世界が覆い、私たちの日々の生活を揺さぶっている。しかし、そういう私たちをご覧になっているイエスさまがおられ、私たちを新しいところへと移そうとされる。そして、私たちにイエスさまは声をかけてくださいます。「わたしについて来なさい。」と。混沌とした世界の中で、今日をどう生きようと目を配っている私たちをイエスへ、神へと移そうとされるのです。

今日の詩篇交読は、「12 ひとつのことを神は語り/ふたつのことをわたしは聞いた/力は神のものであり、13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と詩篇62:12-13」と、

神とは何かということを示しています。

「その新しいところとは、父なる神の憐れみのなか、恵みのなかに生きるところであります。恵みの中へと引き出してくれる目であります」神とは慈しみ深い方であり、神の慈しみは力であるということです。イエスへ、神へ向かうことです。

パウロは次のように語ります。

世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。1 コリント7:31

私たち信仰者は時代の混沌とした困難さを見ながらも、時代の混沌とした困難さを貫いて流れている力なる神の慈しみが既に私たちのうちにあるのです。今ある劇的大変化の混沌した世界は、過ぎ去るのです。確かなものは神の慈しみです。

「すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。・・・・すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」

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当時、社会を支えていた経済は家です。この家を弟子たちは捨てたということです。今、生活の糧を与えている世界を捨てて、新たな世界へ足を踏み入れていったということです。神へ、イエスへ向かったのです。ここにこそ、「人間をとる漁師にしよう

」とは、人間が人間であること、神の慈しみによって自分があるということです。神の慈しみに生かされる者にしようと呼びかけています。

62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。

62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。

月本先生は次のように解説している。「本詩の冒頭と6節に繰り返される神に対する沈黙は、まず第一に、不安にかられたり、思いを高ぶらせことなく、神からの救いを静かに待ち望む姿勢を意味するだろう」

神の慈しみはいつでも私たちを包んでいます。時代に翻弄され不安にかられたり、逆に思いを高ぶったりすることなく、ひたすらに神に向かい、静かに神からの救い待ち望む希望があります。

「その新しいところとは、父なる神の憐れみのなか、恵みのなかに生きるところであります。」、これが福音です。劇的に変化していく混沌した世界を不安にかられ、うなだれていく。逆にこの世の力を得て思いを高ぶらせていく騒がしい世界だから、静かに落ち着いて生きられるように、私たちは福音を人々に宣べ伝えるようにイエスから私たちは招きを受けているのではないでしょうか。

イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。1:17

世界が混沌した中に合って、私たちは引き出され、信仰という世界、新しい世界へ生きることへ私たちは招かれています。

ますます、伝道するということが大切な時代となっています。

すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

1995年の阪神淡路大震災の2年前に北海道南西沖地震があった。「1993年(平成5年)7月12日22時17分、北海道南西沖を震源とする大地震が発生しました。地震の規模を示すマグニチュードは7.8、最大震度は5(当時の震度階級)で、気象庁が観測を開始して以降、現在に至るまで、日本海で発生した地震としては最大級の地震です。 気象庁はこの地震を『平成5年(1993年)北海道南西沖地震』と命名しました。
この地震に伴い大津波が発生し、周辺の沿岸に押し寄せました。当時設置されていた検潮所のうち、最も早く津波が到達したのは江差港で、地震発生から約7分後に第1波が到達し、その後、津波の高さは175cm以上(測定範囲上限を超過)に達しました。このほか岩内港で142cm、松前港で106cmなど、翌13日にかけて日本海沿岸の広い範囲で津波を観測しました。
また、後日実施した現地調査の結果、奥尻島では最大で高さ29mの地点まで津波が遡上した痕跡が確認されるなど、島の全域で高い津波が襲来していたことがわかりました。
この地震と津波により、道内では死者・行方不明者229名、多数の住家損壊など、甚大な被害が生じました。 特に、強震動(震度6相当の揺れがあったと推定)と、短時間に大津波に見舞われた奥尻島では、上記人的被害のほとんどを占めることになりました。」(北海道管区気象台)。阪神淡路大震災、東日本大震災の中で語られることなく忘れ去られたのだろうか。今回の能登半島での地震で生かされてほしかったとふと思った。

 

 園長・瞑想?迷走記                

庭の補修に砂を大量にまいたので砂場のようになった。トンボで毎日、砂をならす。砂を使って子どもたちは色々な遊びを考えつく。今日は3つ作ったトイレを一つ壊されたと泣いている子どもがいたので、彼が作った残りのトイレを壊さないように砂をならした。子どもたちの夢を壊さないように気配りするのも管理者の仕事だと思っている。

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日毎の糧

聖書:ひとつのことを神は語り/ふたつのことをわたしは聞いた/力は神のものであり、慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と        詩篇62:12~13

ルターの言葉から   

 わたしたちが現にあり、生きているのはただ恩恵によるのである。            『卓上語録』M.ルター著、植田兼義訳、教文館

 

神が心にかけてくださった

「『一つのこと』、『二つのこと』とは何を指すかが問題になる。・・・・・・・その一つのこととは『力はヤハウェにある』との一事を指すように解される。これは言い換えれば神の主権ということであろう。神が神であるということで、これが神の示しの中心である。しかし神の主権を『力』の観点から述べているのは旧約的で、直接的には11節と関連を否定できないのであろう。しかし、神は力にいますのみでない。第二に重要なことがある。それは『いつくしみ』もまた神に属することである。ヤハウェは力だけの神ではなく、また愛の神だ、ということである。これが二つのことである。よりつきつめていえば、この二つのことはまた一つのことだと言ってもよいであろう。」             (詩編注解上  関根正雄  教文館)

だから、たとえどんな状況にあっても、神の慈しみにより頼む限り神は裏切らないと詠う詩人のように生きた多くの信徒と出会った牧師45年間だったと思っている。3~4キロの道を徒歩で50分かけて教会へ来られていた方がおられた。その人生は辛苦の連続だった。そんなことを一切感じさせない清々しさを漂わせ、出会う人を清めてくださる。礼拝へと向かわせる健脚も神は裏切ることなく、慈しみをもって与えてくださった恵みであったのだろうか。信徒さんが神の慈しみに生きたゆえに多くの辛苦を負うことのできる神のもう一つの力を与えられたのだろう。

祈り)神の慈しみと力に生かされている心を与えてください。

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大森通信

12.日々  

能登半島の輪島、七尾、羽咋に、カトリック教会があり、輪島、七尾には幼稚園があるという。 そして次のような支援の柱を出している。

幼稚園を地域の支援の拠点にして支援活動をするという。 また、日本キリスト教団七尾教会も幼稚園があり、8日まで一時難所になっていた。元日は120名の人が非難し、宿泊したという。

こういう事例を聞くと、東日本大震災後、耐震補強工事、耐震工事の新館の建設をした幼稚園を併設している大森教会は、東京に大地震が起きたとき、一時避難所になることが予想される。そのことを真剣に考え、準備をしておかなければならない。今は非常食、水は3日分を備蓄している。出来れば、太陽光発電の設置、井戸を掘るなどして、一時避難所として対応できれば良いと思っている。

地域に教会幼稚園がここにあるのは、こういうことに応えていくことではないだろうか。

今回の地震を踏まえて、2024年の教会総会を開催する時、真剣に地震が起きたときの教会の対応を考えて欲しいと思う。私にはもう取り組む時間は残されていないが、次の牧師と一緒に真剣に取り組んでいくことではないだろうか。それは地域に開かれた自己保存的でない教会となる証だと確信している。

大森日記)「総会資料」の印刷。一緒に手伝ってくださる信徒さんと後2ヶ月で分かれと思うとジーンとくるものがある。)教会学校再開。恵まれた日々であった。能登地震の義援金募金を始める。協力を感謝。教会学校、通常礼拝、祈り会、夕礼拝といつものようになる。)羽村幼稚園の施設評価で、副園長の協力をいただく。各園が協力していることは素晴らしいと思う。)教籍簿の通しが出来るように創った資料を使って教籍を書いていく。資料を作ってくださった方に感謝。)教籍簿が通しで書かれていった。完成。)通常の教会活動が再開。庭の手入れ、週報発送、パッチワークの会、聖書の学びと。)主日準備。総会資料を届けに近所を訪問。卒園前に「主の祈り」について礼拝で話す。