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降誕日(12月25日)「クリスマス-神の愛」

主は聖なる御腕の力を/国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が/わたしたちの神の救いを仰ぐ。イザヤ52:10

この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。   へブル人への手紙1:2

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。   ヨハネによる福音書1:14

【説教要旨】クリスマスー神の愛

クリスマスおめでとうございます。

イエスさまの誕生は、新しく私たちを生まれ変わらせてくださいます。その喜びをヨハネは「言は肉となって」となって、「言」、イエス・キリストは、私たちのところに来られた。マタイは「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は『神は我々と共におられる』という意味である。」と私たちに告げます。

ルターは、クリスマスの説教で次のように語っています。

「この宝を喜び、信じるならば、マリヤが母となり、キリストが兄弟となり、神が父となるのです。この誕生があなた自身のものとなり、キリストのすべてをいただいたことを覚えましょう。信じるならば、あなたの誕生は捨て去られ、主の誕生を着るのです。そしてあなたは確かに、処女マリヤのひざに座り、彼女の愛する子とされるのです。」       『マルティン・ルター日々のみことば』鍋谷尭爾編訳 いのちのことば社

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ルターは、「あなたの誕生は捨て去られ、主の誕生を着るのです。」と表現します。私たちの誕生が、この世の誕生でなく、言は肉となり、私たちの命の初めもイエス・キリストの誕生を着るのです。私たちの命は、イエス・キリストの命、永遠の命を生きるのです。私たちの命が世の力によって、どんなに脅かされようと取られようとこれに立ち向かえる力を与えられるのです。ルター流に言えば、あなたの誕生は捨て去られ、主の誕生を着るのですということです。私たちの誕生、命は、キリストの誕生を着せられるのです。それは、すべての人に着せられているのです。イエス・キリストの誕生は、命であり、希望であり、未来への約束です。

ヨハネは、イエス・キリストの誕生を着せられた私たちの命、生は、恵みと真理とに満ちていたと私たちに告げます。真理とは「神は愛なり」というということです。私たちの命、生は神の恵みと真理(愛)とに満ちていたものです。すべての人に与えられています。

自然形態の危機による地球温暖化、経済的格差の拡大、新型コロナウィルス感染のパンデミック、そしてロシアによるウクライナ侵略に代表される世界戦争の危機、混迷する大変化の時代を私たちは生きています。次々とやってくる私たちの日々の難題に私たち小さき者は翻弄されている現実があるのではないでしょうか。混迷する時代にあって私たちは生き辛さと感覚に現れているように私たちの命、生は、試練の中にいます。

しかし、私たちキリスト者に、全ての人にこのクリスマスに毎年、毎年告げられるのです。「言(イエス・キリスト)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」と。この試練の中にイエス・キリストは生きておられるのです。それは、神の決意です。神は私たちと共におられるというのです。

パウロは、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。フィリピ信徒への手紙2:6-8」と言います。私たちの内にイエス・キリストは宿られ、私たちの苦しみ十字架を負ってくださっています。私たちのために、すべての人のために来て下さいました。

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生き辛いという時代にあって、なんでうまくいかないのだろうかといらいらしている、駄目だ、諦めという先が見えない不安、困難、苦難から抜け出せないのではないかという恐怖が混迷する時代を生きている私たちです。しかし、神はここに一つの事実を示される。クリスマスを通して。主は聖なる御腕の力を/国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が/わたしたちの神の救いを仰ぐ。イザヤ52:10。この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。へブル人への手紙1:2 救いを示し、新たな世界をイエス・キリストは創造れていると。

「自分は神のこどもであるというあなたの自覚のために、ご自分をあなたのような子どもになさることで伝えてくださいます。これが、いかなる再生にとっても出発点となります。これこそが、わたしたちの希望にある確たる芯、人生を支える熱気の核なのです。自分の出来や欠陥より深いところに、過去の傷や過ちよりも強く、将来への不安や心配よりも強く、この真実があるのです。-わたしたちは愛を受けた子らです。さらにいえば、わたしたちに対する神の愛はわたしたち次第ではありません。そうなることはありません。無償の愛なのです。この夜に、その他の説明はありません。恵みというだけです。・・・・

・・・・ひとりの男の子がわたしたちにあらわれた-それはあなた、イエス、わたしを子としてくださるみ子です。あなたはありのままの私を愛してくださいます。」(教皇フランシスコ講話集8 ペテロ文庫)。これが主の誕生を着た私たちの姿です。

混迷した時代にあって、私たちは困難と試練にありますが、この私をありのままに受け入れて下さるという神の愛が肉となり私たちを創造されています。クリスマスー神の愛の事実です。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

今、国防の問題がクローズアップされてきた。ウクライナへのロシアの侵略は、私たちを取り囲む国際情勢を考えると他人事ではなくなってきている。元寇を思わせるところまできているような感じがする。そこで防衛を充実させるために建設国債の一部を防衛設備費に充てることが決まると報道された。戦前の戦時国債を変化させた防衛国債というものがごく当然に出てくるかもしれない。建設国債よりも戦時国債だという声が自然に受け入れられていく社会が形成されていきかねない。

彼は多くの民の間をさばき、遠い所まで強い国々のために仲裁される。そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。ミカ書4:3

このみ言葉をいつも心に刻み、私たちは今の国際社会にあってどう向かい合っていくかを問い続けねばならないと思う。

園長・瞑想?迷走記

 冬休み中に40名近い子どもが預かり保育にやってくる。

着任当時は10人ぐらいで先生一人。今は、先生は3名以上になった。預かる時間も長くなった。社会の変化の中での幼稚園の預かり保育も変化に対応せざるをえなかった。

その中で、教会の幼稚園としてどうあろうかと思い、新たに毎日の礼拝をすることにしている。み言葉によって立てられた園の証しの場である。毎日、聖書の話をしていくのだがよくもここまでネタも枯れずにきたものだと我ながら感心している。み言葉は、枯れないと実感している。

今はクリスマスの季節だからクリスマス讃美歌を歌って、夜の出来事クリスマスから星の事などを話し、神に導かれた私たち一人一人であるから大丈夫だよと話している。見えない神の導き、これが今年のクリスマスのテーマである。

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日毎の糧

聖書: 【賛歌。】新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって/主は救いの御業を果たされた。    詩編98:1

 

ルターの言葉から

                                               希望

全世界に起きるできごとはすべて希望を目指している。農夫は種に期待もしないでは、ただ一粒の穀物も蒔かない。・・・・・・・・・・・ 永遠の命への希望によってわたしたちはますます前進する。                   『卓上語録』M.ルター著、植田兼義訳、教文館

希望―主は驚くべき御業を成し遂げられた。

   「歌う」ということは、人間の命を支えるものではないでしょうか。、私たちが歌うという言葉でなく、詩篇の「歌う」という言葉は詩編独特の言葉を使います。それは歌うというよりも讃えるという言葉です。「新しい歌」とは、神の新たな救いの業を讃えるという事です。

月本昭雄氏は詩編98篇の「思想と信仰」について次のように解説しています。 「出エジプトも捕囚からの解放も(ヤハウェが成し遂げた)ニフラオート『驚くべき御業』と表現されたのである。この一語には、強大国に翻弄され、存在の危機に瀕しながら、その歴史を生き延びたイスラエルの民の素朴な感懐が籠められている。強大国が武力によって左右するかに見える歴史にも、なお真実なる神ヤハウェの意思が働いている。ヤウェの力と業がそこにあらわれる。歴史の背後に神の意思を読み取れる。」

それゆえに私たちは歌うのです。「新しい歌」、神の新たな救いの業を讃えるのです。混迷する大変化の時代に強大な力が私たちを圧し潰そうとする日々でありました。しかし、「驚くべき御業」が、私たちの日々の背後に働いています。だから、全世界に起きるできごとはすべて希望を目指していると私たちは確信しています。

祈り全世界に起きるできごとはすべて希望を目指していると祈ることができますように。

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大森通信

「引退の準備」

伝道44年  クリスマスの旅

私たちが年末正月に実家に集まる風景が段々と消えていくときブラジルを思い出す。ブラジルはクリスマスに多くの人が故郷に帰ってクリスマスを迎える。大移動で、ホドビアーレ(バスターミナル)から出る長距離バスはなかなかチケットが取れなくなる。このとき移動する人と同じように早くからバスチケットを取り、クリスマスプレゼントの大きな荷物を持って、私は南のヒオグランデ州の町、ドイツ人開拓地にあった日本人開拓村を訪ねてクリスマス礼拝をした。多くの人がルーテル教会の教会員となっていた。昼間は子どもたちを集めて教会学校をした。場所は、ぶどうの集荷場であった。農機具が置かれ広い集荷場で、夏のクリスマスのお祝いをしたことを今でも思い出す。クリスマスの集会をしながら泊る所がなかったマリヤとヨセフが厩でイエスさまの誕生を体験したように集会をする所がなく集荷場で子どもたちとクリスマス会をしたことはイエスさまの誕生を身近に感じられた。

たまたま、クリスマス・イブの夜だったか、村から町の中心にあったルーテル教会の礼拝に出た。教会から溢れんばかりの人でごった返していた。地域に教会がいくつかあり、クリスマスイブに牧師がいる年だったという。みんなの顔がいつもより明るく感じられた。牧師を待っている。ここが終わるとパラナ州に入り、牧師を待っている二つの集会に向かう。この経験から私は帰国し距離がはなれているかどうかという常識にとらわれず距離を気にしなで待っている信徒さんを思い、兼牧を喜んでしたが、最後まで日本では受け入れられなかった。待っている人がいるあの長い旅が思い出される。

(大森日記))東日本大地震の子ども支援のチャリティー・クリスマス・コンサートを出来た。みなさんの協力に感謝。)今日は午前中は羽村幼稚園のクリスマス会。その後、休み。お世話になった理事の方と昼食。走りすぎか疲れて寝る。夜中に起きて主日の準備。)地域の牧師役員会。久しぶりの対面での協議。教会、一人一人の牧師さんのことを思い協議。)羽村幼稚園に23年度の運営準備のために行く。)雨が降り冷える。子どもたちは元気。一緒に生きた信者さんの猫が抱かれて天国へ、幸せ。)快晴。猫のお別れの祈り。財務委員会。