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聖霊降臨後第21主日(宗教改革記念日) 2023年10月29日「愛着」

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。   ヨハネ8:32

【説教要旨】愛着

教会も世を生きていますから世界の変化に無縁とはいかないと思います。「〈変化の激しい社会〉 人工知能等の先端技術が高度化してあらゆる作業や社会生活に取り入れたSociety 5.0時代が到来しつつあり、社会の在り方そのものがこれまでとは〈非連続〉といえるほど劇的に変わる状況が生まれつつある」という劇的変化の中でこの変化を読み取り、ここに生きる私たちがキリスト者としてどう生き、世にあって光、地にあって塩として証ししていくかということが問われています。

そして、教会はこの世の変化の中で答えを現在進行形の中にあると正直に言って良いのではないでしょうか。「大森教会70年史」を読む時、宣教、伝道は、こういう世の読み取りの中でいつも行っているということを教えているのではないでしょうか。教会をどう維持していくか、あるいは守っていくかということも大切なことですが、これが自己保存的の組織防衛でなく、時代をよく把握して、今生きている人と寄り添い、世にあって教会が世の光、地の塩として宣教、伝道し、生きている人が元気に、明るく生きられるように道を開いていくことではではないでしょうか。先日、T牧師からアオ先生を通して自分の生き方を導かれたという人がおられるが、アオ先生という方はおられたのかという問い合わせをいただきました。今もなお心にその生き方を刻まれていることこそ宣教、伝道の本髄ではないででしょうか。教会はいつも平坦な道を歩んで来たのではなく時代時代に試練に立たされました。今日もそうです。

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しかし、教会の歴史をみていくとき、教会は常に試練の中に立ちつつ、主の教会として歩んできました。ルターは、イザヤ28章19節の後半の訳で、「なぜなら、試練だけが、み言葉をこころに刻ませる」とあります。試練が初めて私たちをみ言葉に、真実に耳を傾かせ、み言葉に、真実に生きるようになると言っています。そういう意味で宗教改革の基本である「み言葉に立つ」というところに私たちは立たされているという恵みの場に生きています。

社会の在り方そのものがこれまでとは〈非連続〉といえるほど劇的に変わる状況が生まれつつ、力によってすべてを押し切って時代を切り拓いていこうという人の力が信奉され、また支持されていく時代の只中にあって、私たちはここに立たないということです。私たちは「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」というみ言葉に立つことです。「あなたたちは真理を知り」とあるように神の前に立つということです。ルターをよく理解したヘーゲルという人は、人は神の真理を前にして自分にある力、能力・・・特別なものを捨てて、神につながり、神と一つになることによってすべてから解放され、自由にされていくのであると言っています。ルターは自分の力で自分が義しいものとなるのでなく、自分を神の前に捨てて、神の恵みによって信仰を通して自分が義しい者とされることによって自由にされるのだと言うのです。ルターが言うように「神の乞食」、力なき存在として神の恵みをいただき生きるとき私たちは強く雄々しく生きられ、時代がどうであれここに私たちの生き方があるということです。パウロはフィリピの信徒への手紙で「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。4:13」と言っています。「わたしを強めてくださる方のお陰で、」というように罪人であるのにもかかわらずキリストの十字架によって他ならない私を赦してくださった神の義によって、お陰で、恵みによって、私たちは「わたしにはすべてが可能です」となるというのです。私たちがすべてにおいて可能とされるのは世の力だとおもっている、違うのです。

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神の真理であり、ヨハネのいう真理=愛、神の恵みである。社会の在り方そのものがこれまでとは〈非連続〉といえるほど劇的に変わる状況が生まれつつある時代にあって、教会は神の真理=愛に立つことを求められています。

ルターは95か条のテーゼの初めを「私たちの主であり、師であるイエス・キリストが、『あなたがたは悔い改めなさい・・』と言われたとき、彼らは信じる者の生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである」と始めます。私たちは「悔い改め」、まさに私たちの方向を人の力でなく、神の力、神の義、神の恵み、神の愛に自分自身を強く向ける「我ここ立つ」ということにおいて、現代の激変する世界にあっても自由とされていくのです。ルターは自由について「キリスト者は信仰によって自分自身をこえて神の中に至り、愛によって再び神から出て自分自身の下にまで至り、しかも常に神と神の愛とのうちにとどまりつづける。・・・見よ、これこそ真の霊的なキリスト者の自由であって、あらゆる・・・開放するものである。・・・他のすべての自由にまさる自由なのである。」パウロの「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」という出来事が生まれてきます。

社会の抱えている課題は山積しています。非連続とう劇的変化の荒波の中で私たちの小さな舟は行くことも帰ることもできないように見えます。しかし、荒波に見るのでなくキリストを見るのです。キリストを信じるのです。ここにすべてが可能となる世界があるのです。

ルターが変化の時代にあって、ひたすら神の、キリストの恵みを信じて生き、彼の語る言葉が、行動が時代を動かしたように、私たちもルターのように神の愛に生かされているのを忘れず、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」というみ言葉の前に常に自分を立たせていきましょう。劇的に変わる状況であっても自由に強く雄々しく生かされます。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

日本の社会の課題として、貧困の連鎖があるということです。子ども7人に1人が貧困状態にあります。

全国設置者・園長研修会で、貧困状況の連鎖を断ち切るためにどう幼児教育は取り組むべきか大きな課題となりました。幼児教育と貧困の連鎖を断ち切るということは結びつかないように感じるかもしれません。しかし、ノーベル賞を受賞しているペリーの研究で、貧困層で質の高い幼児教育を受けた者は貧困層から抜け出せると証明しました。教会が幼稚園を持っているということは、質の高い幼児教育をし、貧困という連鎖を断ち切っていく信仰の証しであるということです。

 園長・瞑想?迷走記                                     

地はお造りになったものに満ちている。詩篇10:24(11月聖句)

コロナ後、3年ぶりに運動会を全員で行うことができ、子供たちは頑張って、楽しく過ごすことが出来ました。

動物、植物と私たちの身の回りに多くの神さまによって造られたものに接しています。運動会後、移動牧場、芋ほり遠足と続き、11月は収穫感謝の礼拝をします。そのことを目で見、体で感じて欲しいと願って行事が続きました。

人間が全てであるという人間至上主義の現代社会にあって、「造られた」というよりも「作る」という感覚をもっています。「作る」というとき、そこには自分にとって、利益であるかどうかが優先します。自分が中心で自然の環境を崩しても。「地球沸騰化」で世界を変えられ、地球の終わりさえ感じます。

「造られた」ということは、与えられたということで、与えられたことを感謝し、他者を思いやる共生の世界があります。

子どもたち一人一人が、自分の周りの世界が造られた世界と感じ、みんなと仲良く暮らそうという心をもてるようにし、地球の終わりでなく、未来を感じるようにしたいと思っています。                               (「11月の園便り」より)

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日毎の糧

聖書:万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。                        詩編46:8~9

ルターの言葉から

  我らの力では何もなされない。 / われわれは負けたも同然。

   正しい方が我らのために戦う、 / 神自らが選ばれた方が。

   それはだれかと、あなたが問えば / それはイエス・キリスト、万軍の主。 / ほかに神はなく / 彼こそが戦場を押さえる。

  (詩篇46篇、われわれの逃れの場であり、力である神 コラール 1528年)

『ルターの言葉 信仰と思索のために』W.シュパルン編 湯川郁子訳 教文館

時代を自由に生きる

先端技術が高度化しあらゆることが日々の生活に影響を与え、私たちの日々の在り方そのものがこれまでとは「非連続」といえるほどの劇的に変わろうとしている状況にあって、様々な日々の変化を私たちに起こしています。努力、熱意が通じない日々の生活があります。私たちは何のために生きているのかと日々問われて悪戦苦闘しています。そして自分の無力さを思い知らされています。

宗教改革も中世から近世へと「非連続」といえるほどの劇的に変わろうとしている時代でした。

その時代をこじ開けた本人ルターは、「我らの力では何もなされない。 / われわれは負けたも同然。」と詠うのです。自分は無力であると。無力の深い実感から、一つの出会いをするのです。「主はこの地を圧倒される。」という主、神であり、神の力こそ時代を切り拓いていくのです。「非連続」といえるほどの劇的に変わろうとしている日々の連続であってもここに万軍の主はわたしたちと共にいるのです。

いたずらに無力をなげくのでなく、イエス・キリスト、万軍の主こそが日々の戦場を押さえてくださる永遠の真理を生きることこそ、時代を自由に生きられるのではないでしょうか。

祈り:私たちは無力な者です。しかし、無力な私たちと共に生きていてくださる主と共に歩んで行けますように。

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大森通信

1.日々  

聞きなれない言葉、「Society 5.0」という言葉を知っていますか。先週、全国幼稚園設置者・園長研修で、文科省の方が現代社会とは「〈変化の激しい社会〉 人工知能等の先端技術が高度化してあらゆる作業や社会生活に取り入れたSociety 5.0時代が到来しつつあり、社会の在り方そのものがこれまでとは〈非連続〉といえるほど劇的に変わる状況が生まれつつある」という発題に出た言葉です。

1.0は狩猟採集社会,2.0は農耕社会(土地所有と貧富の差),3.0は工業社会(富国強兵、殖産興業),4,0は情報社会(デジタル社会)、そして5.0は超スマート社会(AIの時代)いうものです。それぞれの社会の時代の長さは数値がさがるほど長く、変化がゆっくりと起こって次の社会へ向かうという事ですが、3.0は明治から高度成長のまでの100年ぐらい、4.0はインターネットや携帯電話、スマートフォンなどの普及によって世界がネットワークで繋がった社会で数10年と短く、変化の速さを示しています。

「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」という中央教育審議会答申は、「様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるよう、その資質・能力を育成することが求められている」という投信を出しました。教育の充実が求められているということですSociety 5.0時代に入った私たちがどう生きていくかという事が、すべての分野で問われていると言うことです。それは教会も同じです。

大森日記)週報など届けに近所の方を訪問。主日の準備。)グループ教会で牧師の礼拝担当交換。時代の変化への対応の一つの試み。夕礼拝と一日が終わる。)全国幼稚園設置者・園長研修会、劇的変化での幼児教育の在り方を二日間、学び合う。)二日目の研修。学びつつ幼稚園でなく教会にも通じることが分かる。充実した学び。)「全聖徒の日」の案内を作成し、葉書、メールで送付する。木)「聖書のまなび」。PCの調子が悪く、zoomに繋げずに急遽、T先生に来てもらい整えていただく。)今週の日々も時代の変化の中で翻弄されている。