復活後第5主日(5月7日)「道であり、真理であり、命である」
2:8 スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。 2:9 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。 2:10 あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。 2:11 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」』 ヨハネ黙示録2:8-11
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 ヨハネによる福音書14:6
【説教要旨】 「道であり、真理であり、命である。」
先日、5年半以上使ってるスマホのカバーが壊れ、新たなカバーを、ついでにパスコンの付属品を買いに行きましたが、その時にパソコンに詳しい青年に助けをかりました。カバーはもう店頭には売っていないのでインターネットで購入されてはということでした。青年はすぐにスマホを取り、インターネットで購入してくれました。5年以上超えるとスマホは古くなり、その間に技術革新が行われている。どんなに丈夫で壊れていなくても買い替えなければならない。それが経済を動かしていることであるということ。インターネットを使えるか使えないかで、わたしたちの生活の格差が生まれるということ。雨が降り出し駅までタクシーでいくことになり、彼がスマホでタクシーを呼んでくれた。後、3分で来ることの情報、支払いの時、すべてがインターネット決済されていて元気がここで動かないこと。私のような古い人間にとって、このわずかな間に時代から取り残され、ついていけないと思いました。
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歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、人類は革新的技術生物工学(遺伝子組み換え)、情報工学(AI、コンピューター)を世界を、人類自身を思い通りに作り替え、創造することを目指し、人類、ホモ・サピエンスをアップグレードし、ホモ・デウスに替えるだろうと「ホモ・デウス テクノロジーとサピエスの未来」で言っています。
「近代と現代の歴史は、科学とある特定宗教、すなわち人間至上主義との間の取り決めを形にするプロセスとして眺めたほうが、はるかに正確だろう。現代社会は人間至上主義の教義を信じており、その教義に疑問を呈するためでなく、それを実行に移すために科学を利用する。」と。
しかし、人間至上主義が科学と結びつき深めていくとき、人間至上主義さえ崩れ去っていく。その代表がAI、人口知能だというのです。ほとんどの分野で人間にとってかわり、人間について、本人よりもよく知るようになれば、大多数の人は存在価値を失い、巨大な無用者階級を成し、人間の人生と経験は神聖だという人間至上主義の信念は崩れ去り、一握りのエリート層は、自らをホモ・デウスにアップグレードし、無用者階級を支配したり切り捨てたりして生き残りを図るかもしれないというのです。そして、「私たちは21世紀にはこれまでどんな時代にも見られなかったほどの強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズム(やり方)の助けを借り、私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、私たちの体や脳や心を形作ったり、天国も地獄も備わったバーチャル世界をそっくり創造することも出来るようになるだろう。したがって虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる」と言っています。
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私はこういう世界で、みなさんと共に宣教を担っていき、「虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる」という責任を負っていきます。そこには、「苦難や貧しさ」が待ち受けています。試練のときでの宣教だと思います。しかし、「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。」
苦難と試練の時、豊かにされます。ルターは、「第三に、試練が現存している。試練は試金石であり、単に知ることや理解することを教えるのではなく、神の言葉がいかに真実であり、いかに甘美で愛すべく、いかに強力で慰めに満ちているか、すなわちあらゆる知恵に優る知恵であるかを経験することを教える。・・・神の言葉があなたのうちに立ち現れると、悪魔があなたを襲ってきて『試練によって』あなたを正しい教師となし、悪魔の試練を通して神の言葉を求め愛するように教える」と言っています。大変化していく時代にあって、苦難と試練の時、痛み、苦しみ、寂しさ、悔しさ、怒り、の苦難の中で恐れ、怯えている私たちは、本当はあなたは豊かなのです。福音、「わたしは道であり、真理であり、命である。」、「最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方」、イエス・キリストが、み言葉を豊かに与えて下さり、みなさんとともにいて、導いてくださると信じています。虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる時だからこそ、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」というみ言葉に励まされます。
あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。
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牧師室の小窓からのぞいてみると
マイナンバー・カードを私はまだ作っていない。しかし、データをどれだけ管理し、人間の自由を奪い、社会のシステムを効率よくしていこうとするデータ至上主義は、情報工学(AI、コンピューター)の発達と共にますます強くなり、マイナンバーカードを作らざるおえなくなるだろう。
ハラリ氏は、「人間はその構築者からチップへ、さらにデータへと落ちぶれ、ついには急流に飲み込まれた土塊のように、データの奔流に溶けて消えかねない」という。そうならないように3万円の報奨金の誘惑に負けないように、武士は食わねど高楊枝をどこまで貫き通せるか。
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
人間らしくありたい。
園長・瞑想?迷走記
死にかけた蜂がいたので、触ってはいけないと注意をしていたが、大人の言うようにはいかない。子供なら触りたくなる。そして、刺される。昔なら、消毒をして、注意をして終わりだが、今はそうはいかない。アレルギーのこともあり、まずは病院である。先生らがマニュアルにそって対処をしているのを傍で見、またアドヴァイスしながら、事なきを得た。次にこの件について振り返りをして、今後の対処について確認していかなくてはいけない。
ふと、感じたのだが、確かに安全はさらに担保されていくが、これで良いのか。こんなに保護されていくと、子どもたちは自分で生きる力を減少させていくのではないだろうかと。蜂の巣をつついて落として遊んでいた自分の子供時代を思い出す。あの醍醐味はもう許されない。
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日毎の糧
聖書:主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。詩編93:1
ルターの言葉から
英国のある学校教師が多くの冒涜的なことを教えていた者を書簡で控えめであるが非難した。後日その説教者の王への訴えで、その教師は処刑されてしまった。教師は王から自分の言葉を撤回して、自ら釈放するようにと警告されたとき、これを拒否して、むしろそだの束-これは有罪の宣告を意味した-をしっかりと握って、「そだの束よ」と言って、王に向かって「王様、神の次にあなた以外の人を愛そうとはしません。神のご意志に悖(もと)らないならば、喜んであなたに従います。でも人間に従うよりも、神に従いなさいと記されています(使徒言行録5:29)」と言った。こうしてこの後、処刑されたのである。
『卓上語録』M.ルター著、植田兼義訳、教文館
世界は固く据えられ
私たちは人間が中心となり、遺伝子組み換えという生物工学の発展で不死さえ手に入れられようという所まできている。また人工知能の発達は人間に変わって多くの仕事をしていく。現にNHKのニュース番組でAI人工知能がニュースを読み上げている。それは、自分を、世界を確かにするのは、人間であるという人間至上主義となっていく。しかし、聖書のバベルの塔の物語は、文明を極め、神のように振舞おうとしたとき人は神にバラバラにされて天に届く塔を築くことができなかった。
私たちを固く据えるのは、人間ではない。主こそ王、世界を支配される神であり、神であるという事を今、人間が全能観をもったときこそきづかなければ虚構のバベルの塔をまた作り上げ、人々はバラバラにされ
ていきます。今こそ、世界は固く据えられる神を見、神と共に、また隣人共に一つにされていきましょう。
祈り:私たちの歩みが、あなたによって固く据えられていることをもう一度、日々思い起こすことができますように。
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大森通信
伝道45年 総会資料Ⅺ 「牧会Ⅵ」 教会成長の三原則、2.霊性 祈り会 大山元神学生が作ってくださった礼拝後の「祈り会」は、大森教会に神さまがくださった宝である。それが、私がいる間も信徒さんが自主的に続けて下さり感謝である。 礼拝後、新来者、牧師と話をしたいという方に牧師は対応していかなければならない、会を横目で見ながら開かれていると心臓が動いていると安心する。 奥村一郎神父が祈りついて次のように言っています。 「祈りが神の意志を変えるのではなく、祈りによって、わたしたちが神の意志を果たすべく、神に引き寄せられていく。祈りの本質は、神に対するわたしたちの願いがききいれられるかどうかということよりも、わたしに対する神の思いの実現を願い、それに信頼することにある」。「信仰とは、知性の暗黒を通して神を見ることであり、祈りとは、魂のさばくに隠された神のオアシスだからである」 毎週、行われる「祈り会」、「聖書の学び」での祈り、女性会などでの諸集会の祈り、幼稚園の朝の祈り、帰りの祈りなど、祈りの時は、神に引き寄せられる時であり、御心が行われますようと神に信頼する時であり、それは、「祈りとは、魂のさばくに隠された神のオアシス」です。 教会に神のオアシス、祈りの会を主に支えられて続けていきましょう。 |
(大森日記)土)信徒会の準備。日)礼拝後、信徒会。後任の牧師、礼拝式について。出席を感謝。夕礼拝に新来者。月)週報を発送。もっと福音を伝えるために考えていきたい。火)全国牧師会。最後の説教。感謝。水)全国教会総会。5年ぶりが一同に揃うが。道は厳しい。木)総会二日目。役員が決められていく。良い導きを祈る。大学、神学校のことなど厳しい状況が報告。いつも平時はなく厳しいことばかり。ここに主は居られた。金)総会最終日。さあ、宣教を日本へと主に導かれていこう。