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待降節第2主日「道」12月10日

草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。                   イザヤ40:8

神の子イエス・キリストの福音の初め。 1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。 1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、 1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。                 マルコ 1:1~4

【説教要旨】

「神の子イエス・キリストの福音の初め。」(マルコ)、最初に福音書に貫かれるテーマを表現します。マルコ福音書は、「神の子イエス・キリストの福音の初め。」というテーマにのっとってイエスさまの生涯を描いているのです。

福音という言葉ですが、これは元来、王なる者の誕生、または王の即位について知らせるというときに使い、それは良い知らせであり、喜ばしきおとずれであったのです。しかし、常に新王が、国民にとって喜ばしきおとずれであったとはいえません。世の使う福音という言葉を用いて、マルコは、本当に喜ばしい王が私たちに登場したのだと宣言するのです。

その方はだれであるか。「神の子イエス・キリスト」であると宣言するのです。マルコは神の子イエス・キリスはどのような方であったかという生涯を描くことによって福音とはなにかということを伝えるのです。

クリスマスは、神の子イエス・キリストの誕生です。これは喜ばしきおとずれ、福音なのです。

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神の子イエス・キリストの誕生の前に一つの物語があります。洗礼者ヨハネの物語です。

預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

ヨハネの出現は、私たちがクリスマスを迎えるにために私たちがすべき準備について示してくださっています。

ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来たとありますように私たちみなもヨハネのもとに集まるのです。では、そこで私たちは何を悔い改めるためにヨハネのもとへいくのでしょうか。神の子イエス・キリストの誕生を前にして。

ルターは宗教改革の初めの声・95カ条の提題1条でこう言っています。

わたしたちの主であり、師であるイエス・キリストが「あなたがたは悔い改めなさい・・・」と言われたとき、彼は信じる者の生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。

悔い改めとは。羊飼いも、三人の博士も向かった神の子イエス・キリストの誕生に自分の歩みを向けることなのです。神の子イエス・キリストの誕生から私たちのすべての初めがあるのです。ここに良き音ずれ福音があります。

荒れ野で叫ぶ者の声がするとある荒れ野は、命の途絶える世界です。草は枯れ、花はしぼむ命の途絶える世界です。しかし、ここから声が聞こえる、叫ぶ者の声が聞こえる。

呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。イザヤ40:3-4

出エジプトは記しています。神によって、かつて荒野においやられたイスラエルの民が荒野越えるとき、神の恵みによって、高低ある地は平らになり、険しい地は平地となり、荒野に水は湧き出で、砂漠に川は流れ、花は咲き、命に溢れてカナンに喜びをもって導かれたと。そのように今、私たちは神の子イエス・キリストの誕生によって、イスラエルの民と同様に私たちの歩みも神に導かれているのです。イエス・キリストの誕生、神の恵み、喜ばしき福音に私たちが向かうのです。これこそが悔い改めであり、福音の初めであると同時に私たちが向かうところで、私たちの道となるのです。

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私たちは、厳しい激変する現実の世界を今、生きています。荒野と感じ、思う世界が私たちの内にあります。しかし、それは、わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい世界なのです。絶対なる現実の世界は、私たちを決して圧し潰すことはできません。永遠に私たちを支える世界は、草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ、神の子イエス・キリストの誕生を知らせようとしている福音、神の言葉、神の子イエス・キリストの福音によってです。神の子イエス・キリストの福音が、私たちの道をつくっていくのです。その道とは、わたしは主によって喜び楽しみ/わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ/恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ/花嫁のように宝石で飾ってくださる。大地が草の芽を萌えいでさせ/園が蒔かれた種を芽生えさせるように/主なる神はすべての民の前で/恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。イザヤ61:10~11という道です。

激変する道を歩んでいるようですが同時にこの道は主の道であり、整え、/その道筋をまっすぐなものです。悔い改める。潰れそうになっていく自分の道があるかもしれません。しかし、神の子イエス・キリストの福音に向かうのです。わたしの道を準備することです。さあ、道を開いてくださる神の子イエス・キリストの福音のクリスマスへ道を備えていきましょう。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

 曲がりなりにも平和の中にいる日本がウクライナのように大国の侵略をうけないという保証はない、ガザ地区での悲劇をいつまでも他人事としておれない時は来ている。 私たちは、先の戦争で、沖縄戦、広島、長崎への原爆投下ということで戦争がどんなに残酷で、それが力のバランスで正当化されるということを経験したではないか。 ウクライナ、ガザ、その他で起きている残酷な出来事が戦争であるということを忘れてはいけない。だから、イエスさまの「平和を作り出すものは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるだろう」という声を聞くべきである                                      戦争は残酷であるということは当り前である。だから、平和を当り前としていかなくてはいけないと心の底から願っている。

  園長・瞑想?迷走記              

  幼稚園の教育、保育を伝えていく場として重要な集会であるヌーンサービス、交流会と平日の集会は確実に コロナ禍以降出席者が減っている。

何が起きているかと言うと両親が働く保護者が増えたことで平日に出席することは難しくなっているという事である。これは社会の波であって逆らうことが出来ない。

気づいてみると園の教育・保育内容について伝えきれなくなってきている。確かにコロナ禍でzoom、YouTube配信などによって、これらの集会も発信できているが、見る、聞くは見る側にあって、聞かずにスルー出来、自分の聞きたいように内容を理解していくことが出来、こちらの思いが伝わらない場合も出てきている。

これからは、どう伝え、より正確に内容を伝えるかのやり方を改めて、発信力を増さなければいけない状況に幼稚園はなっていることが大きな変化である。

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日毎の糧

聖書:主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。詩編85:13

ルターの言葉から

 わたしたちの救いと生のすべては神の憐みのうちに置かれ、包   まれている。わたしが現にあり、生きているのはただ恩恵によるのである。 

                                『卓上語録』M.ルター著、植田兼義訳、教文館

主が来られる

 「主よ、慈しみをわたしたちに示し/わたしたちをお救いください。85:8」と神に祈り、願う。それは、現実が神の慈しみのない厳しい、終わりなき状況に詩編を詠う人、民が置かれていたという事でしょう。「わたしたちの救いの神よ/わたしたちのもとにお帰りください。わたしたちのための苦悩を静めてください。あなたはとこしえにわたしたちを怒り/その怒りを代々に及ぼされるのですか。85:5~:6」

それは、今を生きる私たちも同じような状況が近づきつつあることを私たちは薄々、感じているのではないか。これまで通りにはいかない神の慈しみが見えない世界が生まれるだろう。

今回のイスラエルのガザ地区侵攻、ロシアのウクライナ侵略の残虐さ、ここに神の慈しみなどはない。イスラエルは旧約の神を信仰し、ロシアはキリスト教のロシア正教を信仰し、それぞれの指導者が信仰に熱心である。絶望でしかありえない世界がある。 庭の夏の花がなかなか消えていかない。身近に地球温暖化を感じ、気候変動が起こる予兆を感じる。神はいない、世界は終わりだと。しかし、神はいる。そして神の意思は貫かれると詩人は詠う。いう激変、揺れ動かされようと強い神の救いの意思の中で貫かれている。主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。詩編85:13。これが神の真実である。希望をもって終わりへと向かおう。

祈り:終末のような神の慈しみを感じられないような世界にあって、神の憐みの内に置かれ、包まれていることを信じる力をください。

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大森通信

7.日々

毎週の楽しみは、木曜日のY兄との庭の手入れである。数年、手入れをし続けて感じることがある。

「この頃、なかなか夏の花の命が延びましたね」という何気ない会話であるが、深刻なことが隠されているのではないだろうか。12月になっても日日草、インパチェンス、ペンタスの花が枯れずに咲いている。N姉を訪問したとき、ポーチュラカが元気にしている。だから冬の花、春の花を植えにくくなっている。身近に感じる地球温暖化である。

地球温暖化は、私たちの生活をも変えようとしている。それは動植物の体系を変えていくという一部のことでなく、地球全体が大きく変えられているということではないだろうか。だからこのままであってはいけないと誰も思って取り組んでいる。しかし、教会はどうだろう意識して具体的に取り組んでいるだろうか。遅れているのではないだろうか。

太陽光の利用、化石燃料車からの脱却、数えればいくつもある。そして、自分たちの日々の生活の改善とある。当たり前ように季節がやってくる知恵を出して、目標を定め小さなことから教会は具体的に取り組むことが、今の世にあって信仰の証しではないだろうかと思っている。地球に優しい教会を目指して。

大森日記)「週報」、「風のように」を印刷し、主日を待つ。)クリスマスと総会準備を主に役員会の準備を早朝にする。夕礼拝、よくここまできた。)幼稚園事務の打ち合わせ後、本部に2023年度負担金を納めにいく。クリスマス準備にピエタに寄る。)「友の会」のクリスマス礼拝の担当を依頼されて行く。サンパウロ、岡崎、静岡の友の会で説教を頼まれていた。引退間際に東京の友の会で説教出来て感謝。聖書の学びの推敲。)誕生会、副園長の手品、家内のお手製の菓子。京浜東北線が事故で幼稚園のお迎えが遅れる子も出てきた。)春花壇の用意で菫を植えて華やいできた。ヌーンサービス。出席者が激変。)今週はやっと終わったというように時が過ぎて行くのが重く遅く感じる。