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近くにいましたまえ 3月3日の礼拝

11あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。                     申命記26:11

10:8b「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。 9口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。10実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。12ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。13「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。             ローマの信徒への手紙10:8b~13

13悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。      ルカによる福音書4:13

【説教要旨】  近くにいましたまえ

ロシアのウクライナ侵攻、原発への攻撃という暴挙まで出て、世界へ大きく不安を与え、世界は、個人はどうにかしなくてはいけないという気持ちになっています。聖書の学びに参加されている方は「no war」の渋谷のデモにお子さんと戦争反対の訴えに参加しました。私たちも一刻も早く戦争が終わるように努力、祈っていきましょう。

歴史学者ハラリ氏は21世紀を次のように言っています。「私たちは21世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほどの強力な虚構と全体主義な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借り、私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、私たちの体や脳や心を形作ったり、天国も地獄も備わったバーチャ世界をそっくり創造したりすることも出来るようになるだろう。したがって、虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかってないほど重要になる」

虚構は客観的現実ではありません。しかし、虚構は道具にすぎません。しかし、虚構は現実を変え、現実との違いをあやふやにし、人間の目標を決め、人間を利用する嫌いがありますと訳者の柴田裕之氏は説明しています。

1991年12月8日にベロヴェーシ合意を交わしました。「我々、ベラルーシ共和国、ロシア連邦、ウクライナは、1922年の連邦結成条約署名したソヴィエト社会主義共和国の設立国家として、国際法の対象と地勢学的現実としてのソヴィエト社会主義共和国がその存在を終えることを、ここに確定する」と署名したのです。人類を滅ぼすほどのソ連はこの署名で消えたはずです。これは虚構であったのです。ハラリ氏は「ベロヴェーシ合意の署名。ペンが紙に触れ、その途端に、あらゆる不思議!ソ連が消えてなくなった。」と虚構を皮肉っていています。

プーチンは、「核戦争で脅かすウクライナ侵略。ロシアの軍隊がウクライナ地に触れ、その途端にあらゆる不思議!ソヴィエト社会主義共和国が復活」というこれも虚構を作っていこうとしているのではないでしょうか。虚構によって無理やり変えようとするかつての人間至上主義が頭をもたげています。

ハラリ氏が「虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかってないほど重要になる」と言うように今回のロシアのウクライナ侵攻は、私たちに教えているのではないでしょうか。

私たちのキリスト教信仰は、どう虚構と現実、宗教と科学を区別する能力を持つかということが21世紀に宣教の道筋を問われています。

本日の福音書の聖書の個所は、イエスさまの荒野の試練です。パンとは経済、権力とは政治、万能とは人間至上主義です。経済を、政治を握れば、何でも出来るという人間至上主義の誘惑に私たちはかられます。それは虚構だとイエスさまは言われるのです。

イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」と。「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになられました。

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聖霊に生きる私たち信仰者も「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、4: 1」ということが起きてくるでしょう。イエスさまが誘惑と試練を受けることによって、この誘惑は虚構であるときっぱりと示されました。虚構と現実があやふやにされ、強力な虚構と全体主義な宗教を生み出すことにならないように目を覚ましておかなくてはいけないと思います。「あなたの神である主を試してはならない」ということです。ますます、「聖霊に満ち」、霊性の回復です。聖霊に満たされるということなくして、虚構と現実の区別が出来なくなります。私たちはキリストを信頼し、自己確信、知的承認に陥らないように聖霊に満たされることを祈ることです。人間に与えられた政治経済、能力つまり社会、科学技術が聖霊から独り立ちし私たちを滅ぼすということです。ロシアの原発の攻撃はまさに人類滅亡と言うことへひた走りしていることを示しています。

では、信仰を生きるということは具体的にどうことでしょうか。11あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。申命記26:11、12ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。13「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。とあるように寄留者、ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人と共に喜び祝い、豊かにお恵みを神から受けていることに感謝し、この感謝を同じように国、人種の区別なく、すべての人と喜び、豊かな恵みを与えるような弛まない丁寧な奉仕の業をすることです。

「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服さない。キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。(キリスト者の自由)」

神は近くにいまして、私たちを聖霊に満たしておられます。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

平和を作り出す人は幸いである。1

歴史学を学んでいる大盛保郎さんにウクライナとロシアの歴史、今をどうとらえたら良いかを4回のシリーズで書いていただきました。

コロナ禍の中、ロシアがウクライナ侵略を開始した。首都キエフに迫り原発も攻撃している。家族・友人・知人が死に街が焼かれ難民が出る。国境を挟んで国籍の異なる家族や親戚が殺し合うことも珍しくないという。

これは最早、危機ではなく戦争、非常事態だ。

ペストが蔓延しオスマン軍がハンガリーやウィーンを占領したルターの時代が想起される。

フランス革命以降、人類はイデオロギーや大義による戦争を始めた結果、戦争の真の目的は見えづらい。「何故?」を問うことは大切だが、詩篇に倣って「主よ、いつまでですか?」と問うのも大切だろう。

ロシアの戦略目標はウクライナの非軍事化と中立化だが、そこに国際社会の批判のリスクに勝るメリットが見えて来ない。

ロシアの標榜する”大義”の一つはウクライナ東部の傀儡国家に住むロシア系住民を”ジェノサイド”から守ること、もう一つはNATOの東方拡大の抑止だ。いずれにせよ、主権と民族自決権を有する独立国家ウクライナとは本来無関係だ。

NATOの東方拡大禁止もゴルバチョフの口約束だけで肝心の米ロ間の条約は存在しない。

ロシアの主張に道理はなく、理由はどうあれ明確な国際法違反であり許されるものではない。

それでも、「盗人にも三分の理」があるようにロシアにも「言い分」はあるだろう。

そもそもウクライナとキエフはルーシ民族発祥の地、ウクライナ人だけでなくロシア人やベラルーシ人にとっても心の故郷だ。

加えて、帝政時代とソ連時代を通じてウクライナは歴史的に「偉大なロシア」の領土だった。

ソ連時代、勝手にクリミアをウクライナに譲渡したのはウクライナ人のフルシチョフだった。

クリミアにはロシア海軍で3番目に大きな黒海艦隊の基地がある。

ロシアがクリミアを”取り戻し”、国外の同胞を救うことに心情的根拠は存在する。

ウクライナのNATO加盟は緩衝地帯の消滅となり、ロシアにとっては安全保障上切実な大問題となる。

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日毎の糧

聖書:ルカによる福音書21:34  詩編17

あなたはわたしの心を調べ、夜なお尋ね/火をもってわたしを試されますが/汚れた思いは何ひとつ御覧にならないでしょう。わたしの口は人の習いに従うことなく/あなたの唇の言葉を守ります。暴力の道を避けて 17:5 あなたの道をたどり/一歩一歩、揺らぐことなく進みます。                                                      詩編17:3―5

   「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。      ルカによる福音書21:34

ルターの言葉から

  慈父のような愛で、私たちを顧みてくださいます。慈父が子どもたちに話すように、いつも語りかけてくださいます。

 「愛する子たちよ。悔い改めよ。わたしがあなたがたのために遣わした、わたしのひとり子を信ぜよ。きよく従順であれ。自分の仕事に忠実なしもべであれ。そして、飲み食いし、わたしの祝福した地上の財貨を用いるがよい。しかし、最後のラッパを待っている人のように、注意し、世と過ぎゆく財貨を用いるべきである。ラッパが鳴り、最後の雷が響くとき、きよい道を歩んでおり、信仰深い霊をもって十分な備えをしておくためです。もしもそのように生きているならば、あなたは何の危険もない。」 1545年の説教から           『マルティン・ルター日々のみことば』鍋谷尭爾編訳 いのちのことば社

慈父の愛

私たちの日々の生活が慈悲深い神の顧みのうちにあることを信じて、信仰深い霊に満たされ、何が虚構であり現実であるかを見極めて、愛をもって、生活を整え、隣人のために仕えて、最後の審判のラッパが鳴り響くまで、前を見て、主と共に走りぬきましょう。

祈り:世のすぎゆくものに心を支配されず、神の支配を受けますように。

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luther500th

大森通信

「大森ルーテル教会70年史」15

束の間3

70年史は、聖書とともに大森教会の伝統を作り上げてきた歴史である。

そして、いま、私たちは歴史を振り返るときルター派教会としての精神に立ってきたかということです。そのことを問い続けなくてはいけません。

さて、このような時代の背景の中で岡田先生は『大森教会50周年記念文集』の中で以下のように言っている。

「ベハネン先生は早速『ルーテル教会の信仰の中心は何でありましょうか?』と質問されました。私が『信仰のみ、恵みのみ、聖書のみ』そして『人は信仰によって義とされる』と答えると、どうやら合格したようでした。」

『信仰のみ、恵みのみ、聖書のみ』(近年、「恵のみ」が、「万人祭司性」に置き換わっています。?)宗教改革三原則の基本をベハネン牧師が岡田牧師に問うたように常に問うてきただろうか。そして、問い続けることが私たちの教会の在り方を決めてくるのではないだろうか。

説教者である牧師は、聖書を通して私たちに語りかける神の言葉を信仰によって単純明解に語っているかと問いつつ、語ってきた歴史がある。残された説教を聞いたり、読んだりしているとルター派の、宗教改革三原則に立って、他教派との違いを出されている。

私たちは今一度、宗教改革三原則に立って、いつも問いつつ将来を作っていたい。

(大森日記))礼拝、祈り会、全てが無事にコロナ渦でも続いていることに感謝。)世界ルーテル連盟、NCCのウクライナの平和を求めての声明文を掲示板、ホームページに載せる。)今日はがっかりすることで疲れがどっと。)詩編35の聖書の学び。詩編は私たちの魂を支える。)子どもの礼拝で、パワーポイントで靴屋のマルチンの話をする。映像に訴えることも大切である。ルーテル園長会、どこも定員割れであるが、どうキリスト教教育・保育をしていくかと課題に取り組む。)春花壇の準備のために信徒さんの車で、肥料を購入に行けたのは感謝。