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聖霊降臨後第9主日「万事が益となる」

35だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・・38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。      ローマ信徒への手紙8:35,38

52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」          マタイ福音書13:52

 

【説教要旨】万事が益となる

パウロという人は、喜びに満たされ、何にも代えられない神の支配を生きて、大胆な宣教をした人です。神の言葉を伝えた神の旅人でした。

第1回の伝道旅行は、徒歩で1000キロ、第2回は1400キロ、第三回は1700キロです。しかし、彼は強い人だったのでしょうか。彼は弱くて、同時に強かった。

彼は、家柄もよく、学歴もあり、すぐれて優秀な人であったと自分自身を言っています。それが自分を支えていたが、「損と思うようになった」、「わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。」というのです。

今まで、自分を支えていた家柄、学歴も糞だと言い切るのです。彼は癲癇という病気を持った体の弱さを持っていました。病気をとって欲しいと願いましたが叶えられませんでしたが、「わたしは弱いときにこそ強いからです。」と言い切ります。これは、自分が神に愛されているという絶対信頼こそ、基本信頼こそ生きる希望と勇気が湧き起こってくると信じ生きた人です。

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パウロの存在が脅かされることが度々あり、生きることを妨げられることがありました。にもかかわらず彼は走りました。

「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。」、「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし川の難、盗賊の難同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」

パウロは、この艱難の真っ直中の中で、「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。8:35・・・・・わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。8:38~39」ということを経験したのです。

ブラジルで宣教しているとき、初期の宣教者とお会いすることが出来ました。経済的危機、自分の存在を脅かす伝道の苦労話を聞きながら、みなさんの語る愛唱聖句は、「神は愛である」ということでした。

伝道開拓期の当時の話を聞きながら、神に愛されているという絶対信頼へと追いやられる。この信仰の基盤に立たされるとき、時代の波からくる不安を越えて、希望と勇気が与えられるのだということを私は、知りました。「わたしは確信しています。

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死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」という私たちが生きることのできる根源的な神の愛の事実に基本信頼を置くことこそ、私たちの不安を乗り越え、明日への希望をもって今を生きる勇気が与えられると確信しました。

今、時代の大きな変化の中で、私たちの存在が脅かされ、私たち生、人生の旅は生き辛く、危機の中を生きていることを感じられています。

しかし、キリスト教がユダヤ教に基盤を置きつつ、世界宗教へと変えたのは、私たちは目に見えることに心を煩わせることより、なによりも“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。 28神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。とあるようにすべてに降りそそぐ霊に真実を見いだしたことです。霊、すべての人に働く、神の働き、神は愛であるという万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っていますとパウロは信じて、神の旅人とされたゆえにユダヤ教を脱ぎ捨て、世界宗教にキリスト教は変貌したのです。神は霊において働かれて、私たちを愛してくださっています。神は愛であるという真実に私たちが霊の働きによって、万事が益とされ、アーメンと答えることが出来るものとされています。私たちはこの危機にあっても悲観的に考えず、希望を、勇気を失いません。「わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。パウロの言葉を私たちの言葉として生きるのです。すべての人が神の霊によって、神の愛の働きを自分が感じられるように神の言葉を伝え、自由に隣人に仕え、愛していくのが私です。私たちがいたずらに存在の脅威に脅かされるのでなく、自由とされた私たちが平和の器として自分を愛し、隣人を愛していきましょう。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

生物学を教えてくださった上野輝彌先生の「日本の魚」という本を読んでいると「筆者は別府湾に面する日出の海岸に生まれ、もの心がついたときには魚とたわむれる毎日であった」という一文が目に入ってきた。日出に畑を持っていた方の収穫を手伝った。ここから見える日出の海は城下カレイという美味な魚が食べられるほどの綺麗な、のたり、のたりかなという静かな海だ。しかし、彼が教えてくれたのは、人間が魚雷に乗りアメリカ軍の艦船に体当たりする人間魚雷が納められていたという人間魚雷回天の基地が畑の近くにあったということを記憶している。背筋に冷たいものが走ったことを覚えている。

8月は先の大戦のことを思い、「平和を願う」月になる。二度と人間魚雷という人の命を戦争の道具として使わない世界を実現したい。

平和を作り出す人は幸いである。神の子と呼ばれるだろう。マタイ福音書5:9

 園長・瞑想?迷走記                                     

コロナ禍で止まっていたみんなで集まって研修をするということが、段々と再開し始めた。東京の5園研修、「平和」テーマに全国のルーテル教会の幼稚園、保育園研修、学校法人、保育園、幼稚園連合、福祉法人、宗教法人の全国ルーテル連合の法人会の研修と8月は目白押しである。みんなで集まるということの再開である。

また、よく参加していたリンゴの木の研修会が、オンラインと会場開催という二つの方法で開くように変化していた。オンラインの実践は先生方には、とても助かる。会期は3日が1日に縮められている。コロナ禍で学んだオンラインの活用という方法を有意義に使っている。また、それぞれが自分の課題をもって研修をしている。これはオンラインということを使用している場合が多くなった。研修は複雑化していく教育・保育の現場にあって、これからますます大切になってくるとき、研修に参加する機会がオンラインという方法で広がっていった。コロナ禍で得た研修世界が新しく生れてきた。

夏は研修のとき。

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日毎の糧

聖書: 主は天と地と、海と、その中にあるあらゆるものを造り、とこしえに真実を守り、   詩編146:6

主のみことばは直く、そのすべてのみわざは真実だからである。                詩篇33:4

 

ルターの言葉から

  信じない者に対して、神は奇跡を示すことはおできにならない。   ・・・・・しかし、神を信頼する者たちは、天地が滅びる前に救われるだろう。なぜなら、信仰は、さもなければみじめな弱い被造物である一人の人間の中に、誇らしく次のように言い得るほどの大きな勇気を育てるからである。「たとえすべての悪魔が私の上に降りかかってこようとも、いや、すべての王、皇帝、天地が私に逆らおうとも、それでもなお、私たちは守られていることを知り、信じている」。

信じる者は主である。そして、たとえ死んでも再び生きる。もし貧しくとも、彼はまた豊かになるはずである。もし病気であっても、彼はまた健康になるにちがいない。人が信仰によって荷車に油をさすなら、荷馬車は先へ進んで行くのである。

『慰めと励ましの言葉 マルティン・ルターによる一日一生』    湯川郁子訳 徳善義和監修 教文館

先へ進む

 私たちは神の真実に生かされています。真実とは私たちを取り囲んでいる神のよき力です。私たちを取り囲んであらゆる地上のものであると同時に、さらに信仰者を取り囲んでいるのは、私たちに見えない神の恵からくるいっさいのことです。神の恵みを生きたパウロは、兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることですと、神の恵は、私たちを先へと歩ませると言っています。

祈り:朝あなたの恵みに囲まれ先へと進める自分に感謝できますように。

 

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大森通信

「引退の準備」   伝道45年

4.共働牧会・・・7.「共に」  

「ステファノ・ミニストリー」を推進した勝原忠明牧師は、「ステファノ・ミニストリー」だけでは宣教にとって不十分だと強調され、1.み言葉の学び(ベテル聖書研究)2.み言葉から育まれる霊性(アシュラム)を加え、宣教の3本柱としていた。

「訪問伝道」も、教会の全機能を静かに更新する霊的運動として進展し始めた信徒の霊的運動という。

協働牧会という宣教の方法を用いてで勝原牧師は西日本ルーテル西明石教会を島村亀鶴牧師は日本基督教団富士見町教会を整えた。

二つの運動が強調するのは、み言葉から育まれる霊性であると思う。

ルター学者の金子晴勇先生は、ルターの霊性を取り上げ、(『キリスト教思想史の諸時代Ⅴ』「ルターと現代の霊性」)批評家・随筆家の若松英輔氏も霊性について書いている。(『霊性の哲学』)」金子先生は、植村正久の『霊性の危機』より引用して、「祈祷会は霊性界の実存を証明す」と紹介している。今、「宣教方策」がルーテル教会から出され、社会の課題に応えていくということ、また篤い牧会の実行が討議されが肝心の教会の課題、霊性の危機については討議されなかったのは、残念である。

祈祷会は霊性界の実存を証明す」とあるように祈祷会を大切にしてこそ宣教はあるのではないだろうか。

大森日記)庭で地区自治会・子供集会。地域に開かれたものでありたい。)教会学校、通常礼拝、夕礼拝と一日がゆっくりと流れる。幼稚園運営委員。)夏季保育再開。外壁工事と始まる。せわしない一日。)幼保の研修会、総会の準備。)遊具のペンキ塗りの準備をする。遊具の塗装の季節。木)暑い中をひたすら子どもの安全を願う。)羽村市議らと幼稚園連合会の行政の懇談会。この暑さで出かけるだけでも疲れる。毎日、出勤前、後に送り迎えに子ども連れて来る保護者に感謝の手を合わせ、朝、夕と迎えることが出来た。