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聖霊降臨後第8主日(7月23日)「神の来られるのを待つ」

イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。だれか、わたしに並ぶ者がいるなら/声をあげ、発言し、わたしと競ってみよ。わたしがとこしえの民としるしを定めた日から/来るべきことにいたるまでを告げてみよ。  恐れるな、おびえるな。既にわたしはあなたに聞かせ/告げてきたではないか。あなたたちはわたしの証人ではないか。わたしをおいて神があろうか、岩があろうか。わたしはそれを知らない。                イザヤ44:6-8

被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。                  ローマ信徒への手紙8:22-25

主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」                                                             マタイ福音書13:29-30

【説教要旨】    神の来られるのを待つ

先週の「牧師室の小窓からのぞいてみると」で、人工頭脳AI

について書きました。今は汎用人工知能AGIが話題となっています。人間と同様の感性や思考回路をもつ人工知能であり、スターウォーズに出てくるR2-D2のようなロボットです。

「もし科学的な発見とテクノロジーの発展が人類を、大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層に分割したなら、あるいは、もし権限が人間から知能の高いアルゴリズム(「問題を解決するための手順や計算方法」を指す言葉です。「算法」と呼ばれることもあります)の手にそっくり移ったなら、そのときには自由主義は崩壊する。そうなったとき、そこに生じる空白を埋め、神のような私たち子孫の、その後の進化を導いていくのは、どんな新しい宗教あるいはイデオロギーなのだろうか」歴史学者、ハラリ氏は、テクノロジーとサビエンスの未来を次のように問います。

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多くの人は、無用な人間となる時代が予想される中で、孫さん、ビルゲーツは、超人エリート層に残るために汎用人工知能AGIに投資をしようとするのです。生き残れるかどうかという岐路にいるのです。

時代は、すごいスピードで変化し、私たちはこの変化と速さに追いつけずに自分の生きるという事の根底をひっくり返えされそうになる不安、想像を越えた苦しみにいますし、これからも続くでしょう。時代が大きく動き、変化する時には起きうることを歴史は教えています。

パウロは、「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」と言います。「共に」ということは、私たち皆がという意味と同時にパウロが信じる神、イエス・キリストも共にであるのです。

イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。

初めから終わりまで共にうめき、共に産みの苦しみを味わってくださるお方が、神であり、イエス・キリストです。

第2次大戦の大きな時代の変化のなかで、ドイツの人と共にうめき、産みの苦しみを味合い、まさに毒麦のヒットラーと共に生き、権力者の圧倒的力によって命を取られたディートリッヒ・ボンフェッファー牧師が、処刑される4ヶ月前に婚約者に送った詩があります。讃美歌21・469です。

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1.よき力に、われかこまれ、守りなぐさめられて

世の悩み 共にわかち、新しい日を望もう

2.過ぎた日々の 悩み重く なお、のしかかるときも

さわぎ立つ 心しずめ みむねにしたがいゆく

3.たとい主から 差し出される 杯は苦しくても

恐れず 感謝をこめて、愛する手から受けよう

4.輝かせよ、主のともしび われらの闇の中に。

望みを主の手にゆだね、 来るべき朝を待とう

時代がどうであれ、私たちはパウロが言うようにわたしたちは、目に見えないものを望んでいる生き方、「よき力に」まもられていることへの信頼や希望を生きる存在です。大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層に分割

される目に見える毒麦と共存する時代に生きつつも、「主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」とあるように、私たちを育ててくださる神の働きがあるのです。時代の変化で呻き、産みだす苦しみを味わいつつも忍耐し、待ち望む力が私たちに与えられ、育てられていくのです。

「私は、いかなる困窮に際しても、われわれが必要とする限りの抵抗力を神がわれわれに与えられると信じる。しかし、神は、その力を予め与えられはしない。それは、われわれが自分自身にではなく、神にのみ信頼するためである」とボンフェッファー牧師は、言っています。時代の急激な大変化の中を否応なしで呻き、産みの苦しみを共に生きている私たちの日々の生活の中で、わたしがとこしえの民としるしを定めた日から/来るべきことにいたるまでを告げてみよ。  恐れるな、おびえるな。既にわたしはあなたに聞かせ/告げてきたではないか。あなたたちはわたしの証人ではないかと神が来られるまで、神の励ましを受ける者です。今こそ、忍耐して待ち望みましょう。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

今、アメリ大リーグで活躍している大谷翔平選手のニュースを聞くたびに、心がワクワクてくる。今の若い人は世界のいろいろな分野で大活躍をしている。私たちの世代で、だれが今日の大谷選手のような若者の活躍を想像出来ただろうか。

世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。伝道の書1:4

世は去り、世はきたるということの繰り返しの世界が私たちの世界である。しかし、今のこの状況がいつまでも続くものではないということであることを私たちは知っていても忘却し、いつまでも続くものだと思っているように感じる。

一方、この異常の熱さ、天変地異が起こり、地球、地は変わっている。地は永遠に変らないとはどういうことであろうか。

地を傷つけている厳しい言葉のように聞こえる。永遠なる地を傷つけるなという神の声を聞く。

 園長・瞑想?迷走記                                     

夏季長期預かり保育が、今週から始まった。夏休みだからといって園長は休めるものではない。今までは副園長、主任らも一般職員の日直の日程に入れていたが、一般職員、役職のある2つの日直カレンダーを作り、二人体制にした。また、事務員は通常通りに勤務していただいている。定員88名中56名が預かり保育にやって来た日、主任が2クラスに変更し、主任自身も保育の責任をとってくれた。こういうこと一つとっても、就任した初めての時よりも責任を一人で負うのでなく、共に負うことが出来るようになった。そのおかげで大分、責任の重さから解放された感じがする。

よく牧師、園長は大変だというが、大変なことは大変だが、どんな仕事も大変だと思う。どのような働き方を作っていくかということが園長の仕事であると私は思っている。それはどんな仕事でも同じだと思う。共に助けてくださる職員と今年の夏休みも越せるだろうと安心して、楽しんでいる。

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日毎の糧

聖書: 苦難の襲うときわたしが呼び求めれば/あなたは必ず答えてくださるでしょう。  詩編86:7

 

ルターの言葉から

 私たちの心が試練のなかでどんな状態にあるかは、このように に示される。

私たちの心が感じているように、そのようにここではキリストもご自身をあらわされるのである。そこにはただ否定だけがあるとしか、心で思えないとき、そういうときでさえ、それは真実ではない。それだから、心はこのような感情には背を向けて、否定の上や下にあるあの深いひそかな肯定を、神の言葉への固い信仰によって掴み、しっかりと保ち続けなければならないのです。

『ルターの言葉 信仰と思索のために』W.シュパルン編 湯川郁子訳 教文館 

深いひそかな肯定

私たちはこの世を生きて、この世のことで悩み苦しみます。しかし、この苦しみの中で、私自身の弱さを知り、弱さを引き受けるときに、ルターが試練の中でこそ、神は、イエス・キリストはより近くに私たちに身を寄せて下さいます。私たちの弱さに崩れ去っていく否定の上や下にあるあの深いひそかな肯定が私たちにあります。

長い闘病生活の中で、自分の人生が終わった。終わりたくないというあがきと弱さの中で、苦難が襲うとき、神は、イエス・キリストはより近くに私たちに身を寄せて下さったことを感じました。信仰を通して、自己否定の上や下にある神の愛の肯定がありました。

しかし、パウロがいうように決して捉えたのではありません、捉えようとし続けるのです。苦難の襲うときわたしが呼び求めれば、あなたは必ず答えてくださるということへの神への信頼の求道です。否定の上や下にあるあの深いひそかな肯定を、神の言葉への固い信仰によって掴み、しっかりと保ち続けることこそが信仰者が求めて続けていく道です。

祈り:神の私たちへのひそかな深い肯定に気づく者としてください。

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大森通信

「引退の準備」

伝道45年

4.共働牧会・・・7.「共に」  

島村亀鶴牧師を中心として、牧師と信徒の協働牧会の「訪問伝道」という運動体があった。

1.福音宣教は教会に託された使命であり、キリスト者は、この時代の課題を共に担いつつ、あかしの行為に生きるものである。(ピリピ1:27,マタイ28:16-20、マルコ16;15-18) 2.訪問伝道は、信徒が牧師のパートナーとなり、牧師と信徒、信徒相互の祈りの交わりによるチームワーク伝道である。(ピリピ2:19-30,使徒言行録18:1-11、ヨハネ21:15-18)

3.訪問伝道は信徒が求道者の心の友となり、責任をもって導く伝道奉仕である。(ヨハネ15:12-14,13:12-15,マルコ3:13-15)

という三原理で具体的に6原則をもって実行した牧師と信徒、信徒相互の協働牧会で、「主と教会への奉仕であるこの小さい訪問伝道は、単なる伝道方策でなく、また牧師の手足として信徒を用いるというのでなく、福音の本質に突入し、新展開によって教会の全機能を静かに更新する霊的運動として進展し始めたのである」という「信徒の霊的運動」ということが大切な視点だと思う。

 

大森日記)4年ぶりの幼稚園主催フェスタになった。多くの卒園生、保護者と久しぶりに出会えて喜びの時となった。)夏休みの教会学校は礼拝のみ。奏楽者、神学生と3名。通常礼拝は神学生による説教。午後から神学生が留守番をしてくれるので横須賀教会礼拝応援に安心しえ行く。共にだ。)休日。整理。)震災後の新館の壁補修工事が始まる。時が早い。本の整理、書類などを整理。)午後から羽村幼稚園の事務打ち合わせに行く。)一日、草取りなどの外仕事。暑さを避けて、仕事をする。年中組のナスを秋ナスにするために剪定。)早朝、教会の資料作りをしていると原稿がパソコンから消えた。作りなおす作業で東教区幼稚園研修会は午後から出席。夕刻、お母さんのお腹の中から知っていたh姉ご夫妻が結婚挨拶にくる。共に食事をする。嬉しい。