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聖霊降臨後第12主日(8月20日)「肯定から一歩」

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。          マタイによる福音書15:28

【説教要旨】          「肯定から一歩」

ルーテル教会の社会福祉事業は、モード・パウラス姉、エーネ・パウラス姉という姉妹によって創設され、発展していきました。両姉妹は、多くの人に影響を与えて、その弟子たちがさらに大きく発展させました。姉はモードは熊本、慈愛園を中心として、妹エーネは、今の東京、千葉ベタニアを創立しました。

パウラス女史が90歳のとき来日され、彼女が創設した日本の施設、パウラス女史の弟子たちが作った施設を訪問しました。私の牧会していました別府教会の施設、平和園はパウラス女史の弟子、加藤静子夫妻によって創設されましたから当然、施設を訪問に来られました。教会訪問など予定にありませんでしたが、突然、電話があり、教会を訪問したいということでした。教会に到着するやいなや会堂の戸をあけ、聖壇にむかい立って、頭を深々とさげて祈るのです。その祈りの時間はどのくらいか分かりませんが、時が圧倒されるがごとく押しやられていくほどの圧倒される祈りでした。彼女の圧倒される祈りが、戦前、戦後の難しい時代にあって、いと小さき者を救うための事業を次々と興していったのだと思いました。キリストに真剣に向かう、妹エーネ女史もそうだったのでしょう。

今日の聖書はカナンの婦人の話しです。娘の病気を治したい、母ならだれでも思い、願います。またこのカナンの婦人もまた同じ思いで、多くの奇跡をなされるイエスさまのところに来て病気の娘の回復を願うのです。

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すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。

「叫んだ」、なんとういう凄さ、この女性の気迫を感じます。私たちは叫ぶほどの思いをもってイエスさまの所へやってくるでしょうか。いや、人はぎりぎりのところにくるとき、しばしば「叫び」となって表れてくるのではないでしょうか。しかし、この叫びをイエスさまは無視される。

しかし、イエスは何もお答えにならなかった。

弟子は彼女を追い返そうとイエスに願います。

イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。

異邦人であるお前は、神の救いの外にいるんだとイエスさまは、冷たくあしらっておられます。

しばしば、私たちの人生の中で神が黙っておられるような体験をする。神は、私たちの叫びに答えてくれない、さらに捨てられていくような現実にぶつかる。神も仏もないという、そういう現実にぶつかる。カナンの女性はまさに今、この現実に出会う。

しかし、この女性はなおも、

しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。

とあるようにイエスに向かい、願います。たとえそうであれイエスに向かい、願う。ここから否定から肯定へと世界が開けてきます。

26イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 27女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と。

女性は、イエスの言葉を受け入れます。「ごもっともです」と。

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イエスのみ言葉の肯定から始まります。しかし、あなたの恵みは食卓で配られたパンの屑がテーブルから落ちてくるようにイスラエルを超えて、あなたのあふれんばかりの恵みがあります。このおこぼれをくださいと願う、神の恵みを肯定する女性の言葉がイエスさますら圧倒するのです。イエスに向かう凄み、圧倒的祈りとなるのです。この女性の祈りの圧倒さ、凄みがことを大きな一歩としていくのです。

そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」

イエスのカナンの婦人の肯定と変わり、大きな一歩が踏み出されるのです。

そのとき、娘の病気はいやされた。

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。」とイエスを言わしめたこの婦人の立派さはイエスに願う、祈りの圧倒さ、凄さにあるのではないでしょうか。神はしばしば私たちを見捨て、沈黙なさっているように思われる。しかし、この婦人と歩まれたイエスはまた私たちとともに歩んでいてくださる。祈っても答えてくださらないとき、私たちは器を超えて溢れてくるイエスさまの恵みを信じ、ここも神のみ国と肯定し、なおもイエスに向かって祈り、叫びましょう。

しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。

今年の夏、4年ぶりに全国ルーテル幼保連合の研修会、総会が開かれました。それぞれの幼稚園、保育園、時代の大変化の中で、しかし、イエスは何もお答えにならなかったというような状況に追いやられるでしょう。しかし、私たちはモード女史に代表されるようなイエスに向かい、圧倒するような祈りをもって、主に肯定され一歩を踏み出すことが出来ることを信じています。

カナンの婦人の信仰と祈りの姿勢こそが、私たちの生涯を貫く、歩みとしたいものです。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

「戦争の記憶が遠くなれば、戦争が近づいてきます」という言葉を聞いた。8月15日、敗戦記念日から78年目になる。東京では千鳥ヶ淵で「平和祈祷会」が開かれるが、このごろ、私は一人で、戦没者墓地に手を合わせることが多い。そして、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉を祈る。映画『ビルマの竪琴』、『人間の条件』をみながら戦争だけはしてはいけないと私は強く思って育ってきた。そして、死ぬまでこの思いは決して消えないだろう。

確かに今は戦争が近づいてきている有事であるが、安易に武器を取るべきでなく、私たちが最も苦手な外交力で、この有事と向かい合っていくことが平和を作り出すことではないだろうか。だから、平和を求めて行くことを諦めてはいけない。

平和を作り出す人は幸いである。神の子と呼ばれるだろう。マタイ福音書5:9

 園長・瞑想?迷走記 

幼稚園は盆休みで、子どもたちは来ない、静まっている。

住み込み園長は、台風が近づいているので、屋上、園庭の物を取り込む作業、園内外の掃除、花、野菜の水遣り、ウサギの世話、電話を受けるという日常の作業があるし、夏は園庭の遊具のペンキ塗りもある。ボヤキであるが正直、暇そうで暇ではない。

しかし、子ども、職員に対して直接、責任がない日々でホッとする数日でもある。園長・牧師をしておられる方が、今年から園長の任を降りられた。園長がどんなに責任があるかということを知り、この任を降りたという事がどんなに楽かをしり、逆に園長の責任の重さをしりましたという感想だった。みなさん頑張って下さいと研修会で言われたことに、責任の重さを再確認させられた。何事もなく後、8ヶ月をと思っている。

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日毎の糧 

聖書:罪の数々がわたしを圧倒します。背いたわたしたちを/あなたは贖ってくださいます。  詩編65:4

ルターの言葉から

   あなたが祈りがうまくできないと感じて、神にそれを申しあげるそのときに、祈りを始めることである。このようにすれば、あなたはきっと上手になって、すぐに心が軽くなり、楽しくなり、たとえこの重荷があろうとも、そのあいだを突き進んでいくことができるだろう。そうすれば、罪があなたに思い違いをさせたり、妨害したりすることはなくなる。いや、このようにして、あなたは罪の中にいると思わなくなるのである。             『慰めと励ましの言葉 マルティン・ルターによる一日一生』湯川郁子訳 徳善義和監修   教文館 

平和を作り出す 

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉は、罪の数々がわたしを圧倒しますと祈る者の悔い改めの言葉ではないでしょうか。

教会は先の大戦で、それを止めるだけの力をもちませんでした。そしてこれから来る戦争にも止めるだけの力をも持っているとは言い難いものがあります。罪の数々がわたしを圧倒する力がいつも私たちの内に働いています。

しかし一つの事実が、私たちの教会に貫いています。背いたわたしたちを/あなたは(神)贖ってくださいますということです。ここに立ってこそ、罪の重荷があっても、その中を突き進んでいく勇気が与えられます。戦争の記憶が遠くなっていく時、戦争が近づいてくる有事のこのときこそ、私たちは 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」の誓いを果たしていくものでありたいものです。

祈り:戦争を二度と起こさぬように平和を作り出すものとなりますように。

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大森通信

「引退の準備」 1.整理  

2024年3月31日の復活日をもって、引退する。城引き渡しの準備が急ピッチである。整理している。

おもしろい物が出てきた。大森、甲府教会がスオミミッション時代の甲府出身の神学生で、後に甲府教会の牧師をされた丹沢桂牧師の1980年代の『甲府通信』という中で《※世の中、いい事、いい思いの為には》という題で、「フランスは首を切られて失職すれば80%の俸給が二年にわたって支給されるという。自ら辞めれば50%そこで人びとは二、三年働いてはなるべく首を切られるように仕向け、当然のように80%を得て生活を楽しむ。児童手当や養育費にとあの手この手で国は金銭を下さるという。

だが見落としてはならないのは税として20%程を納めるときの苦痛である。この苦痛なくして楽しみはない。苦痛が大きければそれだけ楽しみも増え、苦痛が小さければ楽しみも少ない。さて、あなたはどうする。

日本の将来は老人社会となるは必至の事、老後にいい思いをするためには、若い時の苦痛は当然の《税》。これなくして良き老後は得られない。

世の中でただというものは一つだにないと心得ておけば、そう難しいことではない。ただ、いい思い、いい事をただ得ようと逆らうから難しさが付きまとう。」と。この先見性に脱帽である。「教会が収益事業を始めれば永遠につづければならないと」とも警鐘された。一方、旧約学に精通し、教会讃美歌の交読文は丹沢牧師がヘブライ語原典にあたって大変に助かっと江口武憲牧師から聞いた。

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大森日記)いつものように主日の準備終了。)台風接近のため、時間をぬって庭にある園具を片づける作業。教会学校の礼拝、主日礼拝、夕礼拝、礼拝のYouTube配信と無事終了を感謝。)スコール、天候が変動して来ている。)敗戦記念日、朝から千鳥ヶ淵の戦没者墓地にお参りいく。多くの人の犠牲によって今の平和があることを感謝する。ブラジル時代の方々が集まった。)誕生日の方を訪問。木)朝から幼稚園の事務作業等。)パソコンの保存物の整理。整理能力のなさになく。