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聖霊降臨後第10主日(8月14日)「平和をあきらめず」

聖霊降臨後第10主日 平和主日   2022年 8月14日

主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。                                                                  ミカ4:3

 

【説教要旨】

6月23日の沖縄戦の終結記念日、8月6日、広島原爆投下、8月9日、長崎原爆投下、明日は敗戦記念日、そして戦後の満州からの引き揚げ、シベリア抑留と戦争の傷が残る時、平和主日を守ります。イスラエルはソロモン王が獲得した領土と同じくらい領土回復した時代を預言者ミカは生きました。繁栄に見える社会も内部での腐敗、貧困の格差、不正義がすすみ、矛盾をもった深刻な問題にぶつかります。

「わたしは言った。聞け、ヤコブの頭たち/イスラエルの家の指導者たちよ。正義を知ることが、お前たちの務めではないのか。善を憎み、悪を愛する者/人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者らよ。 彼らはわが民の肉を食らい/皮をはぎ取り、骨を解体して/鍋の中身のように、釜の中の肉のように砕く。今や、彼らが主に助けを叫び求めても/主は答えられない。そのとき、主は御顔を隠される/彼らの行いが悪いからである。わが民を迷わす預言者たちに対して/主はこう言われる。彼らは歯で何かをかんでいる間は/平和を告げるが/その口に何も与えない人には/戦争を宣言する。」(ミカ3:1-4)

ミカはイスラエルの指導者が不正義を行い、民を食い物にしていると厳しく批判します。神のみ心は正義を行い、民を食い物にしないということです。そして、それは今日の世界でも言えることです。いかに民をくいものにしている国家、国が他国を食い物にしている国家が多いことでしょうか。

ミカの預言は、今も生きています。

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ウクライナへのロシアの侵略、台湾を巡っての中国の姿勢、そして、アメリカのこれまでの軍事力による干渉は、この世界を二つにわけたがります。自分たちは良い方に属しており、良いと思っていることを他国に軍事力で押し付けるということです。こういう見方は批判力に欠けています。世界はそんなに簡単に分けられるものではないからです.これはやはり自国が正しいという主張からきています。

イスラエルの神はこのような自己拡大狂に対して批判するのです。

そして、自己の正しさが上手く行くと成功と言い、成功を喜ぶのです。聖書はそんなことをいっているのでしょうか。聖書は成功でなく祝福について語っているのです。

成功が祝福よりずっと大切になってゆきます。ルターが批判した功績主義というものが入ってきて、私たちの生き方をゆがめるようになります。

神は批判したもう。すべての人が成功、功績主義に走っている世界は、スサマジイ世界になってしまうのではないでしょうかとニューヨークの神学校教授、小山晃佑先生が説教で指摘されます。

聖書の世界は、成功でなく祝福であるというとき、それは一人一人が大切にされていくということでもあります。成功を走るということは「すべての人が成功に走っている世界は、スサマジイ世界になってしまわないでしょうか。」というスサマジイ世界になるということです。そこで生きている一人一人の幸福、いや小さな生活がどうであるかというより、自分の成功のために不正義を不正義と思わない、相手を食い物にしても何も感じないそういうものになるというのです。それが旧統一原理と自民党の結びつきです。そして、日本につい最近までありました。しかし、それは聖書のみ心ではありません。

そして、成功の原理をもって、最も動くのが戦争です。小山先生が指摘するスサマジイ世界になってしまうのです。広島、長崎原爆、アウシュビッツ、そして、今、起きているロシアのウクライナ侵略です。

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中国の覇権主義は、日本にも脅威を与え、今やアジアにおいてもスサマジイ世界になってしまう危険度が増加しています。戦争の反省を踏まえて、私たちは戦後、平和憲法のなかにある理想をもって国家を出発し、国家再建に取り組んできました。しかし、その平和が崩されようとしています。

そういう時だからこそ預言者ミカの取り次いだ神の言葉は、真実に貫いているのです。

ミカは田舎の預言者でした。誰が兵士として駆り出され、その生活が脅かされるかよく知っていました。農民です。だから、終わりの日、神の救いの日がくるときの姿として託された言葉、「主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」は、彼の強い祈りであり、願いでした。先の大戦も、今ある戦争も誰が不幸になったか、それは大衆でした。それを現在、私たちウクライナで見ています。

このミカの言は、ニューヨークの国連本部ロビーにあり、国連の理想であり、いや、すべての人の願いではないでしょうか。

6月23日の沖縄戦の終結記念日、8月6日、9日の広島、長崎原爆投下、15日という敗戦記念日と続きました。この暑い夏の日々の中で、私たちは本当の意味で自分の、国家のあり方について深く反省し、平和をいっそう求めていくものでなくてはならないと思います。だから、教会は8月15日前後に「平和主日」として、平和を考え、平和をあきらめず、主・イエス・キリストのお言葉、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。マタイ5:9」を神の子とされた私たちは平和をつくり出すために共に平和を願い続け、努力をしていきましょう

 

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牧師室の小窓からのぞいてみると

安部元首相の国葬について、日本福音ルーテル教会としての正式な見解が出された。

5つの理由をもって次のように安部元首相の国葬について表明している。 「わたしたちは安倍晋三氏の『国葬』に反対するとともに、教会が『弔意の強制』にふりまわされることのないよう、冷静な対応をよびかけたいと思います。日本福音ルーテル教会 社会委員会」。

賛否が拮抗し、国を二分するようなことに冷静に対応できない政治、そして、世界を二分化していく戦争、地球温暖化での二分化された世界がある。

「わたしは言った。聞け、ヤコブの頭たち/イスラエルの家の指導者たちよ。正義を知ることが、お前たちの務めではないのか。善を憎み、悪を愛する者/人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者らよ。 彼らはわが民の肉を食らい/皮をはぎ取り、骨を解体して/鍋の中身のように、釜の中の肉のように砕く。今や、彼らが主に助けを叫び求めても/主は答えられない。」という預言者の言葉に耳を傾けたい。

終末の様子を見せている世界があることに気付きつつ、何もしない私たちは神に審判される日も近いと思う。

 

園長・瞑想?迷走記             

いつもの夏なら、園庭の遊具のペンキ塗りをし、卒園児に手紙を出すが、この暑さに老いた園長には、酷になり、いまだ手をつけていない。

まずは、錆を取り、塗っていくのだが、この長時間の気の遠くなるような作業も昨年まではどうにか手を付けられたが、今年は業者に任せるので、打ち合わせするようにと主任に伝えた。 卒園児への手紙は盆明けにも時間をみて、新学期まで届くようにしたい。

出来ないことが多くなったが、出来ないことで何か出来ることもあるだろうと思い、探している。瞑想、迷走中である。

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日毎の糧

聖書:身を横たえて眠り/わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。      詩編3:6

 

ルターの言葉から

    詩人は死の恐れをも驚くほど軽減させる軽やかな言葉を用いる。彼は、「わたしは横たわった、そして眠った」と言う。「わたしは埋葬された、そして死んだ」とは言わない。死と墓はすでに名も力も失った。そして死はもはや全く死でなく、眠りである。墓は墓でなく、寝室あるいは寝台である。彼がそのように語るのは、単に預言の言葉がより不明なものとして謎をもって語らなければならないからでなく、むしろ死をわれわれにとってきわめて軽いものと見なすどころか、さらに極めて甘美なものとさえ見なすためだからである。・・・・・・・・・・ここで彼は自分が死んだのでなく、眠ったのであり、それゆえ目覚ましたのだという。                                                    『ルター著作集第2集3 第二回詩篇講義』 竹原創一訳 LITHON

 

墓は寝台

 お盆です。天に帰られた方々を偲びつつ、墓参りをします。そして、また私たちもいつか天に向かうことを教えられます。私たちは塵から造られ、塵にかえっていくのです。私は、今、この地上にいる人より、天に帰られた人と会いたいと感じることが、しばしばあります。しかし、同時に死への恐れもあります。死を恐がっている自分もいます。

詩人は、身を横たえて眠ったとしても、わたしはまた、目覚めますと詠います。それは、死と復活を意味して言うのではないでしょうか。死は死で終わらないという事です。死にあって、主が支えていてくださいますとあるように命の、復活された主・イエス・キリストが働き、支えて下さっています。

ルターは、「死と墓はすでに名も力も失った。そして死はもはや全く死でなく、眠りである。墓は墓でなく、寝室あるいは寝台である。」と言うとき、主が支えていてくださいますでいう神の事実への信頼です。

祈り:神へ信頼し、生死を越える力をくださる神に感謝出来ますように。

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大森通信

「大森ルーテル教会70年史」28

     印刷物の変化

  創立時代の週報はガリ版印刷だった。「ロウ原紙」と呼ばれる原紙を、専用の金属製のヤスリ盤の上に載せ、固定し、先の尖った鉄筆を強く押し付け原稿を作り、これを謄写版に張り付け、印刷していた。上手い、下手があって、職人技であった。福本牧師が謄写版の職人業を発揮していた。ちなみに、この技術を1880年にエジソンが発明した。その後、1970年代にはボールペン原紙が生まれ、鉄筆からボールペンに変わった。

 

(1955年週報)👇

 

(福本牧師の鉄筆絵) 👉

 

 

 

 

 

👆(タイプ印刷の1990年代の週報) 

謄写版から輪転機に変遷した。印刷屋さんでは活字を組み印刷していたが、1915年和文タイプが出来、 印刷は変遷していった。1970年後半に教会にも入ってきた。タイプ印刷の週報を作ったのが藤井牧師の1990年代であった。ボールペン原紙に打って、印刷機にかけた。そして、 で原稿作り。ロウ原紙から、ボールペン原紙、ファックス製版器での原紙へと変化していった。印刷機も大きく発展した。

その中で特記することはカラー印刷の出きる1977年に発明された「プリントごっこ」である。1980年に家庭用年賀はがきの作成に使われ爆発的に売れた。これをチラシに使った。エジソンからリソーのプリントごっこ、これも教会史だ。

 

(大森日記))秋の聖書の学びの準備。ゆっくりと用意が出来る。)夏バージョンの教会学校。清重牧師の説教にみ言葉をいただく。家内も復帰し、夕礼拝は奏楽付き。)夏季預かり保育。地区牧師会、園具、建物の壁の塗装について打ち合わせ。)主日の準備。コロナ対策で出来るだけ早く準備することにしている。)主管の代務者なので羽村教会、幼稚園へ。コロナ対策で教会の方で仕事。)休日、主日の準備。今日中に全てを終えるようにする。今日も熱中症のアラーム。地球はどうにかしている終末は近いのか。)台風に備えての準備。