1. HOME
  2. 風のように
  3. 目の覆い解かれて

目の覆い解かれて

しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。  エレミヤ1:7-8                  愛は決して滅びない。                                            Ⅰコリント13:8                                              総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。                                    ルカによる福音書4:29-30

【説教要旨】     目の覆い解かれて

私たちの今置かれている状況は、新型コロナウィルス感染ということが直接に生活に影響を与えているのですが、時代は、大きな変化、地殻変動期にあるということです。私たちが今まで持っていた感性、経験、知識ではどうも把握できない世界が頭をもたげようとして、世界自体が揺れ、呻いています。だから「今まで想像できなかった変なことが起きているよね」という言葉が出てきます。「変なことが起きている」ということは自分で把握できないで、困っている、不安であるということです。「変なことが起きている」という呻きが大きくなればなるほど、世界に地殻変動が確実に起きていることではないでしょうか。

人類の歴史を見るとき、中世から近世が生れる宗教改革の時、ペストが流行し、技術革新があり、強大な力が台頭し恐怖に陥っていたときです。その時代を生きた人はきっと「変なことが起きている」と呻き、自分たちが中世から近世に代わっているなど思ってもいなかったでしょう。コヘレトは「今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。3:15」と言います。

-1-

「変なことが起きている」というところの状況にいる私たちは、今日をどう生きればよいのでしょうか。

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。コヘレト12:1

神に自分を向けるということです。つまり悔い改めるということです。エレミヤは、変なことが起きているという時代を神の言葉を預かり、民

に伝えなければならない預言者として立てられました。しかし、彼の伝える神の言葉は、イエス様同様に「総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。」というところに負い込められていきます。命の危機です。危機、時代が大きく変動していくとき起きることです。「そして、イエスは言われた。『はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。』ルカ4:24」、故郷であるカトリック教会ではルターも歓迎されず破門されました。この危機の中で彼らは、神に自分を向け、つまり悔い改めたのです。そして、聞くのです。

しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と主は言われた。

神は私たちから離れることなくということです。私のドイツ語の先生であった井上良雄先生が訳したカール・バルトの言葉に久しぶりに出会いました。ご一緒にバルトの言葉に聞きましょう。

「われ・・・・を信ず」――これは、「私は孤独ではない」ということにほかならない。この栄光にあるわれわれ人間、また悲惨の中にあるわれわれ人間、孤独でないのである。神は、われわれ人間に歩み寄り給う。そして、われわれの主もまた師として、徹頭徹尾われわれを守り給う。われわれは、良き日、悪しき日に、謬りを犯しつつ、また正しくありつつ、この[神との]対面の中に、存在し・行動し・苦しむのである。私は、孤独ではない。否、神は、私に出会い給う。私は、いついかなる時にも、所詮神と共にいるのである。

まさに時代が地殻変動して、自分で把握できないで「変なことが起きている」と呻き、困っている、不安である私たちの内に神の真実として所詮神と共にいるのです。

-2-

私たちが神を忘れても神は忘れない。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出すと語ってくださる私たちとともに今、ここに共に生きてくださいます。

共に生きてくださる神は愛です。神は、愛は決して滅びません。共にいてくださる神は同時に私たちに「わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。」と言われます。福音を語ると同時に福音、神の愛をなすものとしてエレミヤを、パウロを、ルターを、私たちを神は招かれています。

世界の地殻変動を「変なことが起きている」と呻き、困っている、不安である私たちは、自分を守るだけに汲々としている現実があるでしょうが、神は共にいて、若者にすぎないと言ってはならないというように・・・・すぎないという私たちを用いて神の愛を伝え、愛を実践する者としてくださっています。すぎないとして目を覆ているものは、神の愛によって解かれ、私たちは、今、世界の地殻変動にあって苦しんでいる人に無関心になるのでなく、見えてきて、自己保存的になるのでなく、他者のために生きようとする力が与えられます。

本来なら今日、教会総会で人を用いて行う弱く、愚かな宣教という業を通して、神の愛をどう隣人に伝えていくかということを私たちは決めるはずでしたが、新型コロナウィルス感染状況の悪化のために急遽延期せざるをえませんでした。しかし、「神は、われわれ人間に歩み寄り給う。そして、われわれの主もまた師として、徹頭徹尾われわれを守り給う。われわれは、良き日、悪しき日に、謬りを犯しつつ、また正しくありつつ、この[神との]対面の中に、存在し・行動し・苦しむのである。私は、孤独ではない。否、神は、私に出会い給う。私は、いついかなる時にも、所詮(つまるところ)神と共にいるのである。」と神の真実が貫かれています。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びないのです。・・・・・にすぎないものですが、この私を通して、神の愛を行うように共に祈りつつ歩んでいきましょう。

-3-

牧師室の小窓からのぞいてみると

中国の香港支配、ロシアのクリミア半島侵略、また今の台湾、ウクライナへの軍事圧力は、いかがなものかということが自由陣営にいる者の表現であろう。しかし、世界史をみるとき、大国である中国、ロシアだけでなく、英国を代表する西欧列強も植民地政策で同じようなことしている。力あるものが力ない弱い者を自分たちの理念でねじ伏せるという歴史が繰り返されているだけである。

その愚かさから国際連盟、現在の国際連合が作られ「そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。ミカ書」という世界を実現しようとしたが理想が危機にあることが現実である。たとえそうであっても、ミカ書こそ私たちの信仰であり、努力をしたい。

       園長・瞑想?迷走記

その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。                 マタイによる福音書10章13節

新型コロナウィルス感染者が増加の中で、この2月も日々を困惑の中で暮らすことになりそうです。みなさんも気遣いで疲れてきているのではないでしょうか。

イエスさまの弟子が訪ねていくとき、穏やかに暮らせるようにという「平和があるように」という声をかけ、挨拶をしなさいとイエスさまは命じるのです。イエスさまの言葉は、私たちの家庭にいつも届けられます。「平和があるように」と。

毎朝、みなさんのお子さんを預かるとき、日本のルーテル教会の教育、保育、福祉を創設したモード・パウラスの言葉を私は思い出します。「私一人では解決しきれない多くの問題のある一日、空に朝日がさすころ、イエスが慈愛園におはいりになり、私の家の扉をたたかれる。」。そして、こう結びます。「よりよい道を示してくださったのは、この朝まだきの救い主との交わりにおいてであった。」。イエスさまが扉をたたかれ、「平和があるように」という神秘な声を聞かせてくだり、深刻の中に生きつつ、真剣に生きる力をいただいています。                                「2月園だより」より

-4-

日毎の糧-ルターからの言葉

聖書:Ⅱコリント7:2-12    詩篇56 

あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に/それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。         詩編56:9

 「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。            ルカによる福音書19:42

 

ルターの言葉から

    さて、私は我が国のために心を深く痛めています。今、この国にも恵みの日が来ているからです。我が国がこの恵みの招きを軽んじて受け入れず、あざ笑うならば、そのとき、栄光の日の輝きを失うことでしょう。神はあわれみをかけてくださいますが、国は滅びるでしょう。風は激しく吹いてきます。今のような恵みの時代においてすら、我が国は永遠の恵みに対して無関心だからです。

『マルティン・ルター日々のみことば』鍋谷尭爾編訳 いのちのことば社

嘆きの涙の皮袋

 嘆きの現実の中で、神の恵みと憐れみが、私たちに与えられています。しかし、「今は、それがお前には見えない。」という私たちがいます。「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。・・・あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。」 と詩人は神に祈ります。この祈りは、神が私たちの嘆きと共に生きてくださり、私たちの涙を蓄えてくださるという神への信頼があるのではないでしょうか。

だからこそ、詩人は「 神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。」と告白するのです。

私たちは今、生活、命さえ壊されていく時にいます。しかし、神の恵みと憐れみは与えられています。「あなたは死からわたしの魂を救い/突き落とされようとしたわたしの足を救い/命の光の中に/神の御前を歩かせてくださいます。」という神の現実があります。

祈り:主よ、私たちの嘆きの涙を受け入れてくださる事を感謝します。

-5-

大森通信

「大森ルーテル教会70年史」13

年表と教籍簿

教籍簿の不備があったのは、就任当時から前任者の勝部牧師から聞いていた。残念なことであるが、こういうことはどこの教会でもあったことである。それを勝部牧師のとき、分かる範囲で整えてくださり、データ化した教籍簿を作るには、相当な苦労と時間がかかっただろうと驚き、感謝している。

70年史を編纂していく過程で週報、諸印刷物、写真を整理した。また、同時に年表を作っていく作業をし、ここに洗礼者、転入者、転出者を記入していった。何度も諸資料によって編纂委員が推敲していく中で整えられていった。時間と苦労があった。委員の根気強い作業の結果である。

これを資料にして新しい教籍簿に手書きで323号中、139号まで記してきている。教籍が1号から323号までつながったのは、主にあって一つであるという教会の姿が見えた、凄いことであるし、神の恵みである。

70年史の編纂作業は、単に編纂だけでなくこのような大きな目立たぬ業を起こした。また、データ化するなどの先の作業があって、ここまで出来たのを忘れてはいけないと思う。歴史は積み重ねであり、積み重ねを文書化、データ化していくことを普段から忘れてはいけないと思う。

(大森日記))新型コロナウィルス感染力の強さで感染者が増加し「まん延防止等重点措置」にともなう教会生活の指針を代議員と連名で、文書で示す。状況に対応していかなければならない。今週も、対応に追われるだろう。)H幼稚園の施設評価委員会もオンラインで行う。)教会総会延期メール発信、ここは文明の利器。従来のはがき発送、投函も。幼稚園もコロナ対応で冷静にと言い聞かせながら対応。)コロナ対応に追われつつ、今日もオンライン会議。社会は大きく変化している。)再度、感染者増加で「礼拝出席」についてメール配信。聖書の学びは少なかったが慰めの言葉をいただく。)こどもの礼拝もオンラインを利用して別れて礼拝。さらに旧館にも飛ばせるようにしたい。)出来るだけ教会から出ないようにし、1回のみ。ひたすら感染しないように祈る。