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恵みの座に招かれる 2月6日の礼拝

そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」イザヤ6:8

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。                                                         Ⅰコリント15:10

シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。                                                                       ルカによる福音書5:10-11

【説教要旨】 恵みの座に招かれる

2月はいつもなら牧師として召命を受けた神学生が牧師となる按手式が行われるのですが、今年も残念ながら私たちの教会から牧師の誕生がありません。

イザヤ、パウロ、ペテロの召命の物語が今日の聖書の日課です。佐藤優氏の「13歳からのキリスト教」という本の中の「神から何かしらの使命を与えられることを『召命』という」という項で、「神から誘われること、そして何かしらの使命を与えられることを『召命』と言います。わたしが選択するのでなく、『神が呼びかける』のです」と言われています。「わたしは主の御声を聞いた」とイザヤは神の呼びかけを聞き、「サウル、サウル」というイエスさまの声をサウル、パウロは聞き、「イエスはシモンに言われた。」とイエスさまの声をペテロは聞きます。3人は、神の呼びかけを聞いたのです。これからも神は呼びかけ召命をするのです。

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「神から誘われること、そして何かしらの使命を与えられることを『召命』と言います。」と言うように、イザヤに、パウロに、ペテロに使命を与えます。ペテロの召命にイエスさまは「今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と使命を与えられました。それは、宣教ということです。「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。Ⅱテサロニケ4:2」とパウロは言います。

先週は、教会定例総会でしたが、感染力の強い新型コロナウィルス感染者増加のために総会の延期、礼拝はZOOM礼拝に出席して欲しいと呼びかけざるをえない最悪の時で、危機に置かれています。しかし、神は私たちに呼びかけています。「御言を宣べ伝えなさい。」と。「イエス・キリストが弟子を招いたのは、まさに『召命』です。その圧倒的な力に、そのほかの状況など考えることも出来ず、選ばれた者としての喜びと、神への畏怖で、ただもう付き従うしかない。(「13歳からのキリスト教)」とあるように、「御言を宣べ伝える」ということは、新型コロナウィルス感染者増加で総会が延期となる状況がたとえあっても、宣教の使命を与えられた私たちは選ばれた者の喜びをもって、神への畏怖で、ただもうイエスさまに付き従っていく圧倒的な力のみが真実として私たちに降り注いできます。だから、私たちの知恵からすれば理解できないような行動が出来るのです。「彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」。

「召命を受けた者は、いかなる制限も条件もつけずに主に献身する。(『人間への途上にある福音』フロマートカ著 平野清美・訳、佐藤優・監訳、新教出版)」

今、この危機の中で、いかなる条件もつけずにペテロが舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従ったように御言を宣べ伝えるように招いておられます。それは使命であって、恵みです。

パウロは、心から躍動する喜びの言葉を私たちに伝えています。

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

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こういう引き籠らざるえない時、御言を宣べ伝える相手とは、まずは自分自身です。今の時こそ自分と向かい合わなければならない時ではないでしょうか。「どんな危機も、よい知らせを秘めています。それを聞くには、心の耳を澄まして聴くことを知らねばなりません」と教皇フラシスコが言われるように、私たちはどんな良い言葉を宣教と言う中で聴くのでしょうか。どんな危機にあっても、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」というみ言葉です。死さえ自分の近くにあって、自分を脅かす危機にあっても、みなさん一人一人が、神の恵みによって今日のわたしがあるのです。ここに立つ。ここから私たちの力が湧いてくるのです。「わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。」という出来事が私たちに起こされます。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」のです。

日本キリスト教団議長を務めた鈴木正久牧師が、どうして教会へ戻ったかということを書かれている。脊椎カリエスになって、若く天に帰られた牧師の息子さんSさんとの出会いだったという。「父が病気だからといって、それゆえに神仏にたよるような弱気はなく、勉強でも運動でもとにかく一人前だし、友人もあり、どこへいっても自分に足りないところはないように思っていたが、実は本当の中心になるもの、真実なものが無かった。自分の真中は空洞であったのだという感じだった。Sさんたちを通してふれたキリスト教には、その真実なものがあると感じた」。Sさんは自分の死という危機にあって、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みによって、鈴木牧師を救ったのです。Sさんは、恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になったのです。

神の恵みによって今日の私たち一人一人があり、神に呼びかけられています。危機にあって自分の世界だけに留まっている私たちを揺り動かし、私たち一人一人が喜びにも苦しみにも満ちたこの世界に豊かな神の愛の恵みがあることを私たちに気付かせるために宣教と言う手段を用いて世界へ漕ぎ出せと召命を受けています。そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。選ばれた者としての喜びと、神への畏怖で、ただもう共に付き従っていきましょう。「御言を宣べ伝える」宣教と言う恵みの座に。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

 ウクライナ危機は、大国の止めない軍事拡大のつけがきているように思える。核保有国は核兵器の削減に加え、非保有国に対する保有国の軍事的優位の維持の思惑も含めて核保有国の増加すなわち核拡散を抑止することを目的とした核拡散防止条約よって軍縮が進んでいるどころか、逆である。疑心暗鬼が国々でおきて北朝鮮など核開発をし、拡散している。

国際連合のロビーにある「そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。ミカ書」という言葉は、大国は自己目的のために吹き飛ばされている。だから、自己目的、エゴの克服こそが私たちの課題だと思う。エゴの克服こそがキリスト教の宣教だと思う。

      園長・瞑想?迷走記

新型コロナウィルス感染者が子どもたちに増加してきている。東教区にある7園の幼稚園でも園児、職員、園児の家族の中に感染者が出てきてその対応に園長たちは気の休まることのない緊張した日々が続いている。

新型コロナウィルス感染者が増加の緊急時の中で、緊急時としての感染予防に細心の配慮をしていかなくてはいけないが、これに神経を使い過ぎると教育保育が委縮していく可能性がある。では、どうするか。

神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれるというように生きた言葉に向かい合うことであると思う。

何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。・・・・・・・・・神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。                    コヘレト3:1、11

み言葉に触れる時、肩の荷が取られ、深呼吸が出来て、頭に新鮮な風が吹く。さて、どう危機に挑戦するかと。

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日毎の糧-ルターからの言葉

聖書:Ⅰペテロ1:17-2:1    詩篇1 

神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。         詩編1:6

あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。                                    Ⅰペテロ1:22-23

ルターの言葉から

    今あなたは以前のあなたではありません。新しい人です。それはわざによってではなく、新生によってなったことです。あなたが新しい人を作ることは出来ず、成長するか、生れなければならないのです。家具屋が木を作ることができず、それは地中からはえてこなければならないのと同様です。

ペテロがここで言おうとしていることは、あなたがたが新しく造られたものであるならば、違ったものとなり、新しい生涯を送らねばならないということです。前には憎しみの中に生活するのが常でしたが、今はすべての面で反対となり、愛のうちに歩むのです。                                    『マルティン・ルター日々のみことば』鍋谷尭爾編訳 いのちのことば社

 

新しい人

 私たちはコロナ危機の中で、私たちの存在が根本的に揺り動かされてきました。しかし、神は私たちにいつも語りかけてくださいました。「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」生きた言葉によって今日も私たちは深く支えられています。

生きた言葉によって日々新たに私たちは作り変えられ、愛のうちに歩む者とされています。存在が根本的に揺り動かされているとき主の十字架に生かされ、三日後に死から蘇った復活の主と共に永遠の命、愛の命を歩むように私たちを新しい人とされています。

祈り:日々、あなたによって新しく愛の人と変えられていきますように。

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大森通信

「大森ルーテル教会70年史」14

歴史を紡ぐ

 

歴史の記録は、客観性をもってどこまで紡いでいかなくてはいけないが、歴史はその歴史を紡ぐ時、人、目的によって客観性には限界がある。しかし、今回の70年史は出来るだけ資料を整え、資料によって歴史を紡ぐにことにし、編纂員数人の目を通して客観性を担保してきたつもりである。山中鉄蔵委員長は、「年史の命となる本文については、史実に正確性を期し、個人の主観や独断はつとめてなくすように推敲に推敲を重ねて仕上げました。委員会も20回を超えて開催いたしました。」と後記で記している。

それでも、なお100%はありえないが、「通読して、教会史は、牧会史でありそれぞれの時代の牧師(宣教師)と信徒の史実が十分に写し取る」ことであるというように宣教(牧会を含め)を今の時代の目をもって「それぞれの時代の牧師(宣教師)と信徒の史実が十分に写し取る」という編纂委員の英知に私は感動さえ覚える。編集員もそれを十分に写し取れたかどうか、力及ばない面があったと後記で書いているように謙虚な気持ちをもった姿勢は、より客観的にしたように思える。小さな教会の一つの歴史を記した本であるが、歴史書としては名著だと教会は誇ってよいと思っている。

(大森日記))新型コロナウィルス感染に気を付けながらの主日礼拝の開始。zoom配信の礼拝参加者が多い。危機だが私たちに色々なことを提供してくれている。)H幼稚園は、新型コロナ感染で、電話とメールで仕事をすることにする。ワクチン接種する。)ワクチン接種後、微熱が続く。ボーっとしながら聖研の準備。礼拝をZOOMでという緊急案内。)「聖書の学び」を通して信仰の同志であったO姉の召天の電話。これからZOOM、を利用して聖書の学びの友をつくっていきたいと祈る。)聖書の学びもオンラインだけにした。今、再度、伝道の書を読み返している。)接種の副反応で出来ていなかった仕事をする。幼稚園を休園することなく一週間を終える。ホッとため息つきつつ神に感謝。