1. HOME
  2. 風のように
  3. 命のパン

命のパン

29悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。31 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。

                 エフェソ4:29-32

35 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。・・・」

47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。

          ヨハネによる福音書6:35、47

【説教要旨】

 東京に新型コロナ・ウィルス、デルタ株の感染が拡がり、最高の感染者数が出て、緊急事態宣言が延長されました。しかし、私たちがこれ以上何をすれば良いかと手詰まり状態です。

 「今は、世界は生活ばかりか、人生がこわばり、固まってしまうのではないかという恐怖におびえている」(「弱さの力」 若松英輔 亜紀書房)ということが深刻化されてきています。そして、恐怖は、考える力、私たちの力を喪失させいきます。若松先生は次のように言っています。

 「恐怖は強いものをねじ伏せる。どんな勇者も恐怖に取りつ

-1-

かれてしまってはその力を発揮することができない。だが、恐怖と戦ってはならない。恐怖は戦う相手ではない。戦うのとは別な方法で向き合わねばならない相手なのである。・・・・恐怖を取り除くのはむずかしい。だが、恐怖という奥にもう一つの『海』を見出すことはできるのかもしれない。人は誰も、自分自身と深くつながっているとき、恐怖におびえているのとは別の道を行く。」

 「人は誰も、自分自身と深くつながっている」、「自分自身」とはどういう者だろうか。先生は本の冒頭にパウロの言葉、「 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。Ⅱコリント12:9-10」の傍線の部分を書いています。

 「自分自身」とは、私たち自身が気づいていなくても「わたし(イエス・キリスト)の恵みはあなたに十分である。」という存在であるということです。命が脅かされそうにあっても、命を守られるのです。

 「イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」という存在です。

 「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。」今、生きる命は永遠の命、イエス・キリストの、神の命と繋がっているのです。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が

-2-

彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。ヨハネ黙示録7:14-17」という自分自身と深くつながることです。

 それは、恐怖という奥にもう一つの『海』を見出すことはできる、神の、イエス・キリストの恵みの海に私たちは船をだせばよいのです。いたずらに恐怖と戦ってはならないし、恐怖は戦う相手ではありません。自分自身と深くつながっているとき、恐怖におびえているのとは別の道、「わたしが命のパンである。」といわれる神、イエス・キリストつながることです。

 本日は、聖餐式です。「わたしが命のパンである。」というお方をいただき、キリストが命を投げ出し血によって私たちを救ってくださった「あなたがたのために流すキリストの血」葡萄酒をいただき、キリストにつながっていくように用意されています。「信頼できる人と『つながり』を感じるときは、安心して『弱く』あれるのではないでしょうか。それだけでなく、弱いところを見せながらも、互いに助け合うということが起こる。人は、弱くあることによって強く『つながる』ことが少なくないのです。」ということが、私たちの中に起こってきます。

 「信頼できる人」、「わたしが命のパンである。」という神、イエス・キリストにつながる。強張った脳は、手は、足は動かされて、互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさいという神の勧めを喜んで行える存在とされています。

 「恐怖におびえているのとは別な道を行く。利己的ではなく、いくばくかの利他を心に宿し、短絡的な判断ではなく、広い視座で世界と向き合える。そして、誰かに服従、隷属するのでなく、ひとり、おのれの道を歩む勇気を湧き立たせ得る」のです。

コロナ感染拡大の中で、いたずらに恐怖と向かい合うのではなく、それを捨てて、「信頼できる人」、「わたしが命のパンである。」という神、イエス・キリストにつながって、聖霊が与えて下さる創造の勇気、希望を抱いて、別の道、利他の道へと導かれていきましょう。