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信じる幸い   4月24日の礼拝

5:29 ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。             使徒言行録5:29

1:8 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。                   「わたしはアルファであり、オメガである。」             ヨハネ黙示録1:8

20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」              ヨハネによる福音書20:29

【説教要旨】   信じる幸い     

私は、後2年で引退するのですが、44年間の牧会生活に繋がった方々へ感謝する日々です。繋がった先輩牧師から、宣教に挑戦していく道を与えられてきました。盲目の牧師、緒方一誠牧師、石松量蔵牧師がいました。このお二人は、今日のみ言葉、「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」とあるように、見ないで信じ、見えて生きていたということを証ししてくださいました。

「格好よくいきられない人間のみじめさに直面し、トマスの絶望は深められます。弟子たち全員がイエスを捨てて、逃げてしまったのです。それは、トマスにもっともっと深い絶望を与えました。避けられない死を格好よく受け入れることができない、弱い弱い人間・・・・。

トマスが、他の弟子たちから離れていた気持ちもわかるような気がします。イエスを捨ててしまった自分を含めた人間全体に対するあきらめと絶望という深いやみの中にのめりこんでいったトマス、人間不信になってしまったトマスの姿は、・・・」①

トマスの姿は、また私たちの姿ではないでしょうか。だから、この復活の物語に私たちは強く共感し、惹かれるのではないでしょうか。

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緒方牧師は直接お会いしましたが、石松牧師について諸先輩、またブラジルの時代に先生のヘルパーをされていた親戚の婦人から話を聞いていました。羽村教会70年史を作る時に石松牧師の本「盲目の恩寵」と出会いました。

「私の魂はささやかな庵の中に蹲(うずくま)っているようなものであった。そして自分の周囲には幽(かす)かな星の光さえも感ずることはできないのであった。時としてはおそろしい魔の唸り声にこの魂は戦慄したのだ。・・・・しかし夜はいつ明けそうにも思われなかった」②とあるように絶望と深い闇がありました。

しかし、神は絶望と深い闇の中に私たちをそのままに置いておられませんでした。

「盲目という道を通して、私を救いたもうた。更に適切にいえば、私自身の盲目によって神のみ心に叶うたのかもしれない」と言われた石松牧師を夜はいつ明けそうもない絶望と深い闇からイエスさまは救い出したのです。盲目という見えないということを信仰によってあらゆることを判断でき、見えるようにしてくださったのです。見ないのに信じる人は、幸いであるという喜びをいただいたのです。

「不信と絶望にとれられてしまったトマスの心がひらかれるのは、彼が、イエスの十字架の傷跡にふれる時です。十字架の中に、トマスに対する無限の愛があり、復活したイエスの中に、永遠の生命があるということを体験した時、トマスの心は懐疑から信頼へ、そして絶望から希望へ転換したのです。こうしたトマスの救いは、イエスを直接見ることができない私たちに、イエスが私たちの救いであるという事実を、確信させるものとなったのです。

『見ずして、信じる者はさいわいである』という祝福を、わたしたちに与えてくれるものとなったのです。」③

視覚障害で見ることができなかった石松牧師は、イエス・キリストの十字架の無限の愛と復活のイエスの中に命を得たとき祝福と勇気をもって踏み出されたのです。こう言い切るのです。「私は自分の盲目に対して、第二に感謝してよいことは特別の愛と同情とを受けているという事である。私から他人の愛と同情とをのぞいたら私は何事をもなすことはできない。私がこれまで積んできた神の仕事、それは私自身の力の

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累計ではなく、私が受けた愛と同情との累計であった」。神の無限の愛に支えられた感謝と隣人の愛に支えられた感謝を生きるのです。神の恩寵の信仰に生きたのです。恩寵に生きた石松量蔵の影響を受けた「神の痛み神学」の世界的神学者となった北森嘉蔵牧師は、「私は今や初めて単なる『神』の摂理への信仰ではなく、「キリストの恩恵」への信仰にいれられるにいたったのである。この年の8月19日、熊本水道町のルーテル教会において石松量蔵牧師より洗礼を受けた」と記しています。④ルターは、「信仰とは、我々の内に働く神の業であり、かつそうした神の恵みの業に対する我々の確固たる確信だ」というように信じるとは神の恵み、無限の愛を受けることです。「見ないのに信じる人は、幸いである。」という事はこの事を伝えたいのです。神の恩恵、恩寵、無限の愛を信じた者は、また隣人の愛と同情に感謝し、愛の人として変えられていくのです。北森先生は「私はこの前後に熊本市内の大抵の教会に出席していたようである。初めの内はどこの教会と決めることができなかった。しかし、もっとも心が惹かれたのは水道町にあったルーテル教会であった。そこに石松量蔵牧師からは、なんともいえない温かいものを受け取った」と回顧しています。。「見ないのに信じる人は、幸いである。」という者は恵みを運ぶ者とされるのです。

私たちは、今、世界が見えない中を生きています。あきらめと絶望の中を生き、希望を持てないのではなでしょうか。蹲り、幽かな光も感じることの出来ない、魔の唸り声をあげたくなり、夜がいつ明けそうもないところを生きています。しかし、必ずイエスさまはここに来て下さり、無限の愛をくださいます。トマスを懐疑から信頼へ、絶望から希望へと導いてくださった復活の主が私たちに寄添って、一歩を踏み出すことの出来るようにしてくださいます。神の無限の恩寵、愛を信じましょう。いや、イエス・キリストを信じることこそ、無限の愛に包まれるのです。「盲目であるがゆえに私が何事もなし得なっかたとしたら、私は敗北者の汚名を甘受するに価する。しかし、私にはなお神が弓と矢とを与えたもう。この矢と、これを与えたもうた神とを信じて、私はなお戦いを続ける。そしてやがて斃(たお)れるときには、真に生きがいがあったと思いたいものである。」⑤

引用:①③(「神のやさしの中で」森一弘補佐司教、女子パウロ会)②⑤「盲目の恩寵」石松量蔵、自費出版④「聖書入門」北森嘉蔵、書院ぐろりあ)

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牧師室の小窓からのぞいてみると

今、地球の中も大きく動き、地殻変動を起こし、気候も大きく変動している。そして、人間世界もロシアのウクライナ侵略によって、政治、社会の大変動を起こした。終末と言っていたずらに騒いではいけない。 こいうときだから、「主にあって、固く立ちなさい」と言うパウロの言葉を私たちの血、肉としたい。

      園長・瞑想?迷走記

私は、落語と銭湯が好きである。羽村幼稚園での仕事がおわり大田区の大森幼稚園に帰るとき時間があれば、寄席か銭湯に寄る。先日は新橋で降りて、銀座の銭湯に寄った。またその帰りに東京駅に戻り、本屋に寄ると一冊の本を見つけた。「人生を味合う 古典落語の名文句」という立川談慶さんの本である。

なかなか含蓄のある面白い本である。落語にはよく子どもが出てくる。「子別れ」という噺の紹介の文で、「つまり『子育て』とは『プログラム』であり、両親をはじめ過去に繋がった方々へ感謝する『再チャレンジ』なのだ。」という言葉に出会った。家にはお金がなかったが、自分が欲しいという本は、買ってくれた。病弱な私が病気したとき、父が私をおんぶして何軒も病院を訪ねてくれたことを思い出す。次の日、父は会社があったはずだと今になれば思える。そんな時、父に手を合わせても、父はもういない。感謝するには遅すぎたと反省するばかりである。

「両親をはじめ過去に繋がった方々へ感謝する『再チャレンジ』なのだ。」という言葉に頷いている。子育ての色々な場面で、母を、父を思い出し感謝している。その感謝の再チャレンジとして、感謝を父、母へ返す気持で、私は二人の子どもを育ててきたようである。長男も、次男も自分の道を見つけるために大学を2回出ている。「大学に入りなおしたい」と言われたとき、貧しい中でも本を買ってくれた父を思い出し、ここは、両親への恩返しだと思い、大学に二度いかせた。

「因果は巡るが子育てなのかもと悟り、やはり『親のほうが育てられているな』と白旗を揚げた次第である」という言葉に頷きつつ、子供と向かい合った次第である。(羽村幼稚園の「園だより」から)

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日毎の糧

聖書: 122:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】主の家に行こう、と人々が言ったとき/わたしはうれしかった。    詩編122:1

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。                                                                                                         ヨハネ黙示録3:20

ル ターの言葉から

 あなたの王があなたのところに来て、あなたの内にみわざを始めてくださる以外に、始めはありません。あなたが主を求めるのでなく、主があなたをお求めになります。あなたが主を見出すのでなく、主があなたを見出してくださいます。あなたの信仰は主から来るのであって、あなた自身から生まれるのではありません。主がこられないとき、あなたは外にいなければなりません。福音のないところに、神もおらず、ただ罪と滅びがあるだけです。ですから、あなたは敬虔な信仰生活をどこから始めたらよいかを尋ねるべきではありません。この王が来られ、この王について宣べ伝えられるところで、聖徒としての生活が始められるのです。待降節第1主日の説教

『マルティン・ルター日々のみことば』鍋谷尭爾編訳 いのちのことば社

主は戸口に立つ

 私たちは自分を悩ますことが起きれば、動揺してしまいます。ちは立そして、神に助けて下さいと祈ります。ほとんどを神は、私たちに応えてくださらないように思います。どんな素晴らしい祈りであっても、何も起きないのです。私たちの業でなく、神が業を起こされるのです。あなたが主を求めるのではなく、主があなたを求めるのです。そのとき私たちの思いを越えた神の働きを私たちは体験します。主はいつも私たちのところに来られ戸口に立っています。安心して私たちは日々を生きれば良いだけです。

祈り:私たちの人生の戸口にいつも立ってくださり、戸を開いてくださる主を信頼して歩めますように。

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大森通信

「大森ルーテル教会70年史」18

        神学生

 「私たちの宣教には次のような奉仕者がいる。米国一致ルーテル教会(ULCA)とデンマーク人系ルーテル教会によって設立されたルーテル神学校二年のs神学生。彼の故郷は九州南部である。」と最初の神学生派遣について、1952年度のアメリカ・スオミ・ミッション総会資料で報告されている。

s牧師は、1958年に按手を受けて牧師となられた。同じ年にf牧師も按手を受け、生涯、同労者として友情を保った。清貧の牧師、一生涯を独身で通された。大阪・釜ヶ崎にも働かれた。語学に堪能であった。修道に興味をもち、ドイツまで修道の勉強に行かれ、修道院に入られた。晩年はフランシスコ会の修道服を着ておられていたと思う?今はtの老人ホームにお住まいである。

私たちの教会には、神学生が今のように神学校による管理のもとでの派遣でなく、神学生も多く個人が自由に教会を選んでいたとき、多くの神学生がやってきていた。また福祉科が大学に設置されたとき、ほとんどがクリスチャンで教会に来ていた。その中から後に牧師になっていかれた方もおられる。m牧師、0牧師がそうである。

私たちは神学生に感謝しなければならない。神学生を通して洗礼へと導かれた方もおられ、またいまの礼拝後の祈りの会を作ってくださった方もおられた。

 (参照:日本福音ルーテル教会百年史」 )

(大森日記))イースター、久しぶりに多くの方と礼拝を守る。治療中のI兄も出席くださり感謝。教会学校も子どもたちがたくさんやってくる。喜びと心配が重なるコロナ禍のイースターである。)羽村幼稚園に理事会の資料作りに行く。夕刻、職員聖書の学び。三つのWHYについて。)誕生会。)朝、Y兄と70年史の施設関係への発送作業。久しぶりの聖書の学び。詩篇122)幼稚園の遠足、晴れて暑い。引退まで2回なのでハッスルして自転車で行き、そして体操までした。疲れた。