おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。(11月4日~10日)
おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。
土)今日も早朝、銭湯に信徒さんと行く。どういうことがあったか分からないが銭湯の廃業が取り止めになって、なんとなく明るい雰囲気であった。銭湯は大切にしたい日本文化。いい湯であった。空調の清掃で一日中、教会に足止め。冬の前の準備。
日)連休最終日、教会学校も影響を受けるかと思っていると元気にやってくる。子ども声は嬉しい。任地、最後の全聖徒の日(日本のお盆)で、「私は真のブドウの木、あなたがたはその枝である」というように天に帰られた方と繋がっていることを確かめられた礼拝。ご遺族もきてくださる。夕礼拝にカトリックの友人が出席くださる。彼が洗礼を授けられ、私たちがお世話になったF神父の写真を飾っていたら気づき喜んでくださる。事情で朝のミサに出られなかったので夜の大森のルーテル教会の礼拝に出ようと思って出てきてこんな偶然に出会った。偶然ってあるのだと思う。F神父との出会い、F神父を通してカトリックを知り、イコンを知る。そしてF神父が神学校の校長をしたK牧師と友人だったと繋がりを思う。繋がる。神の御手を思う。
月)少々、疲れているが夕刻、家内の手伝い、買い物の荷物運び。自動車もなく、リュックで荷を背負い家まで運ぶ。しかし、色々なことが面倒くさくなる。すべてが老いの私の風景と思うとこれも面白い。
火)いつもの日課の早朝から聖書の学びの準備。これが楽しくなっている。登園時間になり、強風の中を迎える。「園長先生、日曜日の教会学校、楽しかったです。聖書のみ言葉と日々は繋がっているのですね。来週も行きます。」と言われて勇気づけられ嬉しくなる。私はいつも思っていることは教会だけの世界ではなく、教会が世の人々と繋がっているとき、私が思いよらない私たちが世にあってどう生きるかという事を示される。天気予報の通り午後から風が止み蒸し暑くなる。引退前の複雑な処理に神経を使い正直、疲れ、投げ出したいが、最後まで忠実でありたい。何に忠実か?平井清牧師が、帰天する直前の説教で、「福音に忠実であれ」というみ言葉をいつも心に刻んでききた。「福音」、神に愛されていること。神の愛を着たことに忠実であろう。
水)大田区園長会が開催され厳しい幼稚園運営について報告された。時代の大変化を感じる。
木)羽村に行き、2024年度募集後の事務処理。塩野七生氏の「ローマ人の物語」を2時間の電車の中で読破しようと思ったが寝てしまう。足がむくむ。ブラジル時代に長距離バスに乗り、足がいつもむくんでいたことを思い出す。後ろを向くことが多くなった。夜は「聖書のまなび」。聖書は、神ヤウェは『苦しむ者、貧しい者』の抑圧を座視しない、という、古くからの確乎たるヤハウェ信仰に裏付けられている。その聖書の民のガザへの攻撃は悪魔の業としか見えてこない。信仰に立て。
金)秋雨、春の花の苗を揃えていたので助かった。収穫感謝礼拝、果物が聖壇に置かれ、日本が豊かになったことを感じる。秋と言えば柿ぐらいだった。子どもたちは豚汁を作る。美味しく食べたかな。夕方に我が教会出身で、私が推薦し神学校に行き牧師となった牧師が訪ねてきてくださる。私がかって働いていた教会に今は、おられる。これからという牧師と引退して去る牧師の僅かなひと時。この時間は光っている。頑張れ!