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おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。(9月30日~10月6日)

おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。

)次男が古希の祝いに私たち夫婦を食事に招待くれる。孫を見ながらこの感謝の中で、「今、救いを見ました。ここからさらせてください」思う。夫婦、東京散歩で新橋の古本市、有楽町まで歩き東急プラザ、教文館と散策。途中、セイコウ博物館を見つける。何度もこの前を通りながら気づかなかった。セイコウ歴史、それは私の時計に歴史と重なり温かい時間となった。東京駅まで来て、ステーションホテルに入ったことがなので、勇気を出して入り、ホテルのラウンジで家内と一服。こういう冒険がボケを抑える一つと和田秀樹医師の本を思い出す。

)秋を感じるように正面の花壇に鶏頭の花の苗を植える。徐々に礼拝も式文を用いて戻してきている。週報と補助の讃美歌、聖書の印刷物の讃美歌番号が違うこと、印刷物に同じ讃美歌が印刷されていること、急遽、印刷しなおす。臨時役員会・幼稚園運営委員会、新制度に合わせて事務処理をしなければならない。急ということにいつも対処しなくてはいけない。ガレージセールを内輪だけで開催。夕礼拝。森一弘司祭の「人生を支え、老いを照らす光」、老いと言うより「山上垂訓」の解説には良書。読み終わり、引退が近づいたのか、なんだか疲れを覚えて早く寝る。

)同労だった引退牧師が急に天に帰られる。神戸まで葬儀へ参列。人の命は分からない。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」コヘレト3:11

)昨日の疲れが残るがいつものように掃除をしながら園児を7時30分に迎えていると、小学生のこはるちゃんが声をかけてくれる。「園長先生の背丈を抜きそうだね」というと横に来て背比べ。幸せな朝の恵みの時。次は伸びた木々の枝を剪定しつつ9時から来る子どもらを迎える。母親が「先生、辞めてどこに行かれるのですか」、「さて?」、「大丈夫、次の先生は決まっているから」花壇は段々と秋の花に。今年は鶏頭にしよう。花の苗さえ買えない教会から出発した自分には今は恵まれすぎた環境。

)幼稚園、教会の仕事が終わり、夕刻より二つ目の時から知っていた名古屋出身の落語さんが真打昇進の口上があり寄席に行った帰り道で幼稚園の保護者と会う。「いつも庭を綺麗にしていてくださりありがとうございます」と一言。

)昨夜のお父さんの声に励まされ、裏庭の草取り完了。励ましの言葉は人を動かす。

)読書の週目標、小説、神学書1冊。今週は達成。どちらの本も読みごたえのある本。来週の教師会が2泊3日のために主日の準備、聖書の学びの準備をする。秋花壇を作っているが思ったような苗が手に入り難い。これも夏の猛暑のせいだろうか。相撲取りの清国の子が落語家になり、二つ目の時からしっていたので、真打になり、今日は真打口上の日で出かける。