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おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。(12月30日~1月5日)

おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。

)教会の宣教協力についての会議。互いに助け合うということが当たり前であるが、これが難しいことも分かっている。これを東海地方の教会を取りまとめる時、若さゆえに「難しさ」を力で押し切ったことを反省する。会議の時間を間違って来た70歳の引退者に任せては、これいかに。こんなことを言いたくはないが、40歳代の時は計画を立案し、担っていた。やはり、完全に退かないと邪魔をすることを実感。「掃除道」、「仏にわが身ゆだねよ 歎異抄」二冊を購入。歎異抄は持っていたことが後で分かる。これに合わせて「良心の天路歴程」を休み中に読もうと思う。家内の足が悪く、歩けないので深夜におせちの準備にスーパーに。全ての支払いがセルフレジに変更され戸惑う。追いついていくしかない。

)31日の礼拝、出席者は少ないことが予想されていたが、通常だったら来られない方、近所の他教会の方が出席くださる。夕礼拝、休まず来られている方と。感謝。除夜、新年礼拝の式文を作っていないのに気づき急遽作った後で、安売りの正月用品購入のためにスーパーに。つい買い過ぎる。除夜礼拝、年越しそばとカトリック教会の方が作ってくださった一品で深夜の元旦を祝う。教会だけでなく、他教会の方、幼稚園の在園、卒園の子ども・保護者が集って年越し、新年を迎える。家内の足が痛むので夕礼拝、除夜礼拝はリードオルガンでなく電子オルガン奏楽。31日、神学生のとき学校をやめようと思い一冊の本、歎異抄をもって東京の街へ飛び出したことを思い出し、引退前、最後の31日の東京だから歎異抄を読み返しつつ、深夜の東京の街に出ようとしたが、明日の礼拝もあり、家内の足を揉まないと思い断念。揉みながら家内の寝息を聞いて自分も安心して寝る。老いとはこういうことか。

)2024年、いつものように掃除をし、礼拝。一番に聖餐式の用意をする。出来合いのお節はやはり不味い。来年は家内だけに任せていけないで私も作ろう。

)家内の足が思う以上に調子が悪いがそのままにしているのも悪くなってはいけないとゆっくり短い散歩を二人ですが、やはり痛むのでマッサージとお灸をする。長男に引っ越しの時には手伝いに来て欲しいと電話する。「仏にわが身ゆだねよ 歎異抄」を読む。

)一ヶ月ごとに掲示板のしたに置いているパンフレットを作成。五枚のわずかであるが持っていってくださる。こういう地道な伝道をよくここまでやってこられた。今日しか時間がないので夜、家内が座やすい椅子を求めにいくが介護用にいくしかないか。帰りに寄席に寄り、新年の挨拶に飲み屋さんにより、遅く帰宅。

)金柑の実を鳥が食べにくる。私は一日一個と決めて後は残しているが、食べられるとやはりもったいない気持になる。自分は強欲だと苦笑い。

)幼稚園3学期は預かり保育から始まる。休み気分から日常の生活へ。これも良し。