おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さまの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。 (4月1日~7日)
おまけ・牧師のぐち(続日記)牧師だって神さまの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。
👈私の作品、ウクライナ卵(よく作ったものだ。この時期は指は染色だった。一緒に作った師匠は天に帰られた。😢)土)体調が優れずにじっとしていたら、主日の準備は終わったと思っていると後日、取りこぼしが判明。老いの一言。
日)礼拝後、神学生と四谷の典礼の店、ピエタとドンボスコとに行く。イグナチオ教会に寄るとベトナム語、フィリピンのタガログ語?の礼拝。礼拝堂がいっぱいで立見まで。こんな光景を日本の教会で体験するだろうか。棕櫚主日と受難を兼ねて礼拝か?神学生には学びになっただろう。
月)以前に来られていた神学生の奨学金の支払いに本部に行く。帰りに三河時代のa牧師と歓談。お互いに歳を取ったというたわいのない話。これも楽しい。今日から聖週間の礼拝。いつのころか信徒が来ようと来まいと礼拝を続けている。庭の夕方の掃除をしていると信徒が来られた。礼拝の終わりに「礼拝に出て、疲れが取れました」と一言。こちらもこの一言で疲れがとれた。
水)朝に花の苗の植え替えをし、入園を待つ。新学期へ向けての職員会議、保護者役員会、補助教諭会議と続く。特に補助教諭との会議では預かり保育と通常保育の連携、情報の共有化の徹底、その保育の内容の深めなどを協議。しかし、保育内容をさらに充実させるために先生を募集してもなかなか集まらない。そこが悩み。教育は人ですから。
木)コロナ感染後の久しぶりの小学校の入学式に出る。ここで気づいたのは入学式の簡略化である。来賓、PTA挨拶、祝辞朗読、在校生の演奏などなく簡略化されていた。とても良い式で、この決断に小学校の配慮と良識に感謝である。この決断は、校長は大変だったと思う。ポスト・コロナを生きる。今日も春の預かり保育の子どもたちの声がする。帰り、信徒さんと伸びた木の枝を剪定。切った枝を小さく鋸で切っていると興味がある子ども。「一緒に鋸で切る」と声かけ、嬉しそうに一緒に鋸を使う。こういうことを通して道具に慣れてくれると嬉しい。聖週間の礼拝。小学校1年生から大学2年生までの卒園生にイースターと入学、進級の挨拶の葉書を書き終える13年間で約400人。それぞれの人生があるだろうと思いつつ、つい呟く、頑張れと!
金)入園式の準備のために掃除だが風が強く、掃いても、掃いてもこれは駄目と諦める。入学、進級した小学生の卒園生に掃除をしながら朝の挨拶。大森、最後の入園式、この子らには葉書は出せないだろう。すべてに時在り。なかなか準備が出来ない。今日は徹夜か。その前にビール一杯。すべてに時在り。