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風のように 10月3日 「神秘ー神の最大の労り」

  2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」        創世記2:18

10:7 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、10:8 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。10:9 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。      マルコによる福音書10: 2~16

 

【説教要旨】

 初任地が九州・別府でした。ここには障がい者の会、「パンの会」というのがあり、ご存じの方もおられるかもしれませんが、障がい者の方が健常者と同じ様な生活が出来るように整えられた「別府・太陽の家」にいた方が参加していました。Tさんは、障がい者の家を出て、外で自立したいと思っていましたが、Tさんより重度の障害を持たれてる奥様は、どうしても賛成できずに何度も話し合いをしました。しかし、結論には至らず思い日々を過ごしていました。そして、離婚を申し出たのです。

 イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。マルコによる福音書10:1

 出エジプトの民がヨルダン川を渡って新しい地に入っていったように、イエスさまはガリラヤから十字架へのエルサレムへの新しい道、新しい地に入っていく大転換期を示しています。決定的な一歩を踏み出した時、離婚、結婚についてのパリサイ派との議論が記されています。

 パリサイ派の人ですから当然、次のような律法を知っていたはずです。 人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。申命記24:1        モーセの教えであり、律法です。

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10:2 ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。10:3 イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。10:4 彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。10:5 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。   マルコによる福音書10:2-5

 イエスさまの誕生にあるように許嫁とあるように親が結婚を決めるのが普通でした。当時、結婚は女性の意志で結婚が出来ずに、特に父親が結婚相手を決め、女性は結婚させられていたのです。極めて女性に不利でした。そこで女性を守るために離婚規定を作ったのです。「離縁状」を必ず出さなければならないと規定し、男の身勝手さを少しでも緩和させようと作ったのがこの規定です。律法は本来、弱者を守ろうとして作られているのです。

 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。            マタイによる福音書1:18-19

しかし、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」とあるように、男に有利に転換するようになっていたのが現実でした。

 そこで、この意地悪、パリサイ派の質問に、イエスさまは創世記2:24の「 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」という言葉を言って、その解釈をします。「二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。」と。一体となるとは、夫婦の関係が他の関係と違って切り離すことの出来ない関係であると言われるのです。

 よって、「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」本来、結婚は神が定めた秩序であり、人間がどうこう出来るものではないのです。結婚を人間の同志の出来事として、でなく、神の神聖なものです。

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 しかし、現在、結婚が人間同士の出来事としてしか受け留めている私たちにとって、今日のイエスさまの言葉に耳を傾けることが大切です。聖書は、結婚を神秘、ミステリオンと言い、カトリック教会は今でも結婚は7つのミステリオンの一つです。ミステリオン・秘儀こそ最高の神さまの労りです。

 Tさんたちは何度も新しい出発を模索をするに中で、離婚まで考えるようになりました。当然、神さまの労りであるモーセの律法をもって、離婚は成立出来るかもしれません。しかし、二人は、自分たちがどこで結婚式を挙げたのかを思い出したのです。教会です。お二人は神の前で結婚式を挙げたことを思い出したのです。そして、お二人が互いに「私はあなたを夫として、幸せな時にも、不幸な時にも、・・・」ということを神の前で結婚誓いをしたことを思い出したのです。思い出した時、離婚ということが一瞬に消え去ったというということです。つまり、今日のイエスさまの示されたことです。神の労りである離婚律法の云々でなく、結婚の初めに帰ること、それは結婚が人間同士の出来事でなく、神の神聖な出来事、ミステリオンであるということ帰ることにお二人は気づいたのです。ミステリオン、神の最大の労りに自分を置いたとき、不思議にもお二人が忘れていた相手を労わる思いが始まったとき何度も話しても解けなったことが解け始めたのです。

 現代、結婚を人間的な出来事して受け留めていくことがごく当然であり、牧師の世界でも離婚が当たり前のように多くなってきています。離婚は確かに弱い物を守るために神は労り、モーセにこの律法を与えたのです。しかし、こういう時代だから今日、モーセの律法による神の労りに帰る前に、イエスさまが示された最大の神の労りである結婚の「神聖さ・ミステリオン」、神の起こす業に私たちが思い起こし、ミステリオンの中に委ね帰っていくことではないでしょうか。

 Tさんご夫妻が神さまの最大の労り、結婚のミステリオンに帰って、互いに労り、お二人が関係を回復されたように私たちもこの夫妻のようにいつも神さまの最大の労りミステリオンに身をゆだねていきましょう。

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牧師室の小窓からのぞいてみると       

 

新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言が解除されたが、私

たちは決して油断をしてはいけないと思う。油断していなくてもそれを越えて襲ってくるのがウィルスの脅威であることも事実である。こういときだからこそ冷静に具体的に対処し、国民を励ますのが政治であるが、その政治が機能をしているとは言い難い。

 日本の首相を決める自民党の総裁選挙、選挙後の体制をみるとき従来とまったく変わらい自己保存的で国民のことを考えているようには見えてこない。

 私たち教会はそういう政治を変えていこうとするエネルギーが欠けているように思えるほど力がない。どうすれば、私たちが弱い人の声を届けるようになるか真剣に変革しなければ塩の効き目がくなり、外に捨てられるだけになる。

        園長・瞑想?迷走記          

 少子化の中で、幼稚園、保育園の入園募集は難しくなってきている。そんな中で、入園説明会が重要になってきている。毎月、説明会をしている幼稚園もある。私たちの園では年に1回である。今年は、コロナ禍にあって、説明会を開くにも十分に対策をしなければならなかったし、YouTube配信をするなど工夫をした。

 幸い新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言が解除された日であった。しかし、台風が接近し雨風が強い日でもあったが予約された方々が説明会に来られ、我が園の教育・保育方針に耳を傾けてくださった。説明会を開きなが少子化は確実に起きていると感じる。たとえそうであっても、アウネ先生から始まって、歴代の園長が努力されて続けられた「神は愛です」というキリスト教教育・保育は時がよくても、悪くても継続していかなければならないという思いが起される説明会である。

 説明会は神さまが開いて下さった宣教の時、場であるという思いで臨んでいる。

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日毎の糧-ルターからの言葉

 聖書:へブル4:1-11 詩篇90:12-17

 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。              ヘブル4:2

                                     

 イエス・キリストは死んで私の罪を取り去り、私に天国を獲得してくださった。と聞くとき、私は福音を聞いている。 人がこのことばを説教すると、それは直ちに消え去る。しかし、それが心の中へ落ちて、信仰によってとらえられるなら、決してそこから消え失せることはあり得ない。どんな被造物もこの真実をくつがえすことはできず、地獄の淵もこれに対して何もすることが出来ない。そして、たとえ私が悪魔にのど元を抑えられても、みことばを捕えることができるなら、私は再びそこから抜け出して、みことばのとどまるところに居つづけなければならない。①『慰めと励ましの言葉 マルティン・ルターによる一日一生』               湯川郁子訳 徳善義和監修 教文館

信仰―恵の力

 どんなにキリスト教の知識を身に着けても、それは無益です。聖書のみ言葉を聞き、説教を聞き、それが心の中へ落ちて、信仰によってとらえられるなら、決してそこから消え失せることはなく、私たちの歩みにとって益となります。

 どんな被造物もこの真実をくつがえすことはできず、地獄の淵もこれに対して何もすることが出来ないのです。

 ルターが「信仰のみ」、それは神の恵によって私たちが生かされているということを信じるということです。みことばのとどまるところに居つづけなければならない。たとえ困難の中にあって、地獄の淵が見えても恵の内にあります。今週も厳しいコロナ禍の日々ですが、安心して一歩を踏み出しましょう。

祈り)主の恵に生かされて平安の内を歩めますように。

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luther500th

大森通信

宗教改革504年      1540年代 

たとえ明日が終わりであってもリンゴの苗を植える。①

 

宗教改革500年(2017年)を迎える準備として、宗教改革とルターについて書き始めたのが2015年4月、6年目の2021年10月で終わりとなる。

書きながら単に宗教改革の歴史を書くのでなく、私たちが今を生きている中で宗教改革、そしてルターは私たちに何を語りかけてくるのだろうかと意識しながら書いた。

とりわけ近世が終わり新しい時代が始また危機の中にあって、中世から近世の新しい時代を開いた信仰者ルターを通して学ぼうとした。近世から次の時代という途中に新型コロナウィルス感染で世界は危機に陥っている。時代の変わり目を生きたルターもペストと言う危機にあり、どう生きたかは参考になり、信仰者として多くの示唆と励ましを与えられた。

この間、「羽村教会70年史」、「大森教会70年史」を書きながら、歴史から今をどう生きていくかということの示唆を得た。

温故知新という言葉があるが、古きを訪ねて、新しきを知った。

 参考文献:『マルチン・ルター-生涯と信仰』徳善義和 教文館

      『歴史の再発見 ルターと宗教改革』 江口再起 NHK出版

(大森日記))役員会を行う。役員会は忠実に決められたことを継続して行う胆力の見本と思う。試練-神の恵と再確認。感謝。)臨時総会の準備のための準備。多様の意見もあるだろう。)羽村幼稚園の次年度園長予定者を事務の引き継ぎに連れていく。チャプレンとも懇談。)オンラインでの会議。次に70年史編纂委員会。このために奉仕くださる方々に感謝。幼稚園はひよこ組。)70年史編纂と課題であった教籍簿の整理を信徒さんと完成出来た。万歳。オンラインで地区牧師会、宣教の取り組みでの地区の在り方について協議。そこで教籍簿について話しが偶然にでた。夜は聖書を学ぶ会。)台風接近の中を「幼稚園入園説明会」。帰りが心配で、無事を祈る。臨時総会資料の発送をする。主日の準備を終えたい。)台風一過の秋晴れ。早朝から主日の準備。訪問。