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「目を覚まして祈りろう」11月28日

しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。                                                             ルカによる福音書21:36

【説教要旨】

 新しい「教会の聖書日課」が始まっています。終末について語っている今日の聖書日課は、今までなら待降節前の聖霊降臨後の終わりに読まれれてました。なぜ、待降節の第一番目に読まれるのでしょうか。

 終末-人の子が最後の審判で再び来られるということです。だからしかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさいということはよくわかります。しかし、これを待降節の第一にもってきたのは、何か意味があるのでしょう。教会暦の最初で、今から出発する今年もきっと色々なことが私たちの中で起きるだろうと。

 21:25 「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 21:26 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。

 新型コロナウィルス感染拡大は、死をいつも意識しつつ、同時に、私たちの世界を大きく変化させられ、どよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥ってきまして、まだ先が不透明なところから教会は一年を始めます。 そんな下で、待降節を迎え、待降節とあるように待つ、何を待つのでしょうか。

2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

 イエスさまの誕生、クリスマス、主・イエス・キリストが来られたということを待つのです。待降節の「降」の部分です。あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れてとあるように主・イエス・キリストが降りて来られたという場に私たちを置くことです。どよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろうという世界があっても、ここに主・イエス・キリストが降りれ来られ、来ているのです。 

 私たちが、人の子(救い主)の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈るのは、神です。

 羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

 人の子の前に立つ、主・イエス・キリストの前に立つように神は私たちを導いてくださっています。

 恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

 どよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥いり、先が不透明などんなに辛い、厳しい、激動の悪戦苦闘の日々の中であっても、人の子の前に立つことができるようにイエスさまは、私たちを導いてくださいます。

「恐れるな。」と、私たちは、神から最初のみ言葉をいただくのです。「恐れるな。」、このみ言葉に私たちはいつも目を覚ましていたいのです。「いつも目を覚ましていなさい」とイエスさまは私たちにいつも語りかけて下さっています。私たちを支え、守って、愛、憐みを神は与えて、わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げてくださっています。

「神の憐みは、わたしたちに対する神の責務なのです。神は責任を感じています。神は、わたしたちが幸せで、喜びと、憂いなく生きている姿を見たいと望んでいるのです」フランシスコ教皇が言われているように神の責務として、どよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥いり、先が不透明などんなに辛い、厳しい、激動の悪戦苦闘の日々の中であっても、神の愛、憐みがつらぬかれています。神が責任を感じて羊飼いに天使を送ったように、神は私たちが神に近づくことを待っておられるので、積極的に手を差し伸べていてくださっています。

2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

 救い主、イエス・キリストその者自身、十字架の神の愛によって世を生き、自ら私たちへ身を向けて、私たちに対して語りかけてくださったイエスさまが来ていてくださっています。 貧しき馬小屋に生まれ、十字架におかかりなり、神の愛、憐みをくださる方にいつも目を覚まして祈りをささげていく新しい教会の暦の日々となりますように。

牧師室の小窓からのぞいてみると

 来年開かれる核兵器禁止条約の初めての締約国会議に、条約に反対のNATOにあって二番目にオブザーバーとして、ドイツが参加する。それは、平和への大きな貢献となるだろう。 しかし、日本を取り巻く環境は、北朝鮮の核の脅威、中国、ロシアの核戦略を考えるとなかなかそうですかとは言えない現実がある。唯一の被爆国の日本は条約を締約していなし、会議にオブザーバーとして参加するかどうかも決めていない。

 しかし、そうはいうが核の恐ろしさを一番知っている日本は、被爆地出身の総理である時に条約を締結し、核を地球から取り去る努力をして欲しい。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。ミカ4:3

        園長・瞑想?迷走記           

 先日、東教区のルーテル幼稚園の園長会があり、2022年の就園児募集の状況、情報を共有、どう取り組んでいくかということを話し合った。課題は私たちの力を超えるように幼稚園に大波打って入ってきているが、大変だ、大変だと言いながら、どこか子どもたちのことを中心として課題と取り組みながら、楽し気に話している。大変さを一人で背負うのでなく共に背負う時勇気も湧いてくるし、アイデアも出てきて、前を向いて歩みだせる。

 また、かって40年前に研修したときの教会の幼稚園の先生で、今も現役で活躍し、多くの講演をしているAさんが講演の帰りに訪ねてきてくださった。そして、今の子どもたちが置かれている状況を話し、保育の楽しさを共有できた。

 教会と言う、それもルーテル教会と言うところでは、相手を敵としてではなく、友として語り合えるから苦労も楽しみとして分かち合えるのかもしれない。しかし、それではいけないと思う。Aさんのように教会を越えて保育に携わる人、園と共に課題を担い、語り合い、励ますようなすべての友となる教会の幼稚園となりたい。

日毎の糧-ルターからの言葉

聖書:第二ペテロ3:13  詩篇25 

 しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。

 新しい人である私たちに、神は新しい違った思いと心と理解力をもつように望んでおられます。世と理性により、見ゆるところに従って判断るのでなく、主の目にどのように映るかによって判断し、やがてきたるべき見えざる新しい性質に従って、私たち自身をせいするべきです。                             1531年の説教から『マルティン・ルター日々のみことば』鍋谷尭爾編訳 いのちのことば社

主の目をかりて

  パリの貧民窟に居を移し、4ヶ月間、住んで共に生活をしながら、後に青年指導の司祭とったミッシェル・クオスト司祭の「主よ、わたしは高くのぼりたい わたしの住んでいる町の上たかく 地上たかく、時間をこえて わたしの瞳をきよめ あなたの目を借りて世界を見たい。」という詩の一節がある。

 ルターが「主の目にどのように映るかによって判断し、やがてきたるべき見えざる新しい性質に従って、私たち自身を制するべきです。」ということである。「義の宿る新しい天と新しい地、神の約束に従って待ち望んでいる」者の目である。

 「神がごらんになるように生活に目をとめることを知ってさえいれば、この世の中には何も俗っぽいものはないことが分かる。むしろなにもかもみ国かもみ国を立てるために役立っていることが分かる。信仰を持つということは、なにも目をあげて神に思いをはせるだけではなく、キリストの目をもって、この世に目をそそぐことでもある。キリストによってわれわれの全存在にしみこませ、われわれの瞳をきよめるなら、この世はもはや、さまたげにならない。」(『神に聴くすべを知っているなら』 ミッシェル・クオスト 日本基督教団出版局)  

祈り)社会の困難さにあって、キリストの目を借りて、勇気をもって、社会への働きが出来ますように。

luther500th

大森通信

「大森ルーテル教会70年史」3

 大森ルーテル教会は、アメリカ・スオミミッションによって創設された教会である。小さなミッションは、歴史と共に消されていき、アメリカにおいても、日本においてもどれほどの人が存在を知っているだろうかということになった。

 「スオミミッションのことはあまり知られず、このまま忘れ去られることになりそうです。・・・・・・この記念誌によって、貴重なミッションの足跡が日の目を見ることを切に願うものです」という言葉をいただいた。

 執筆しながら私は切に願っていることだったのでこれに共感してくださった方がおられ嬉しくなった。

 歴史の流れにあって小さなものは大きなものに飲み込まれ消されていく。この大きな流れに飲み込まれた小さな流れを日の目を見るようにするのが、私の使命と感じている。小さなものを知るということは、また違うころから真実を教えられ、小さな真実は、さらに本当の真実を教えてくれることがある。

 小さなものを大切にすることをこれからも大切にして、100年を目指してこれからの30年間の教会の旅であってほしい。

(大森日記))今日も教会学校の礼拝、通常礼拝、クリスマスの電飾、夕礼拝と通常に戻っていくような気分で力を抜くことが出来た。早く力を抜いて日々が暮らせますように。秋の雨。)今日が祝日とは気づかずいた。休みをとった。家内と出かける。)今、羽村幼稚園のチャプレンと「牧会者ルター」を読んでいて、牧会への在り方について刺激を受ける。午後から改築、新築した大岡山教会、幼稚園で園長会。どこも定員割れをしている。そこでどう向かうか有意義な話し合い。教会、幼稚園同士が助け合うのは麗しい。)聖書の学び。国家の歴史を語りつつ神の憐みを讃美する詩編。)幼稚園もクリスマスに入り、一本の蝋燭が点く。よくここまでこられた。)小平霊園に墓前の祈りを捧げる。