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「イエスさまは近くにいます。」12月12日の礼拝

4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。                                          フィリピ信徒への手紙4:4―8                              18 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。                                                     ルカによる福音書3:18                      

【説教要旨】

 厳しい新型コロナウィルス感染拡大によって、命の危険を感じつつ歩んだ今年を振り返り、みなさんはどのようなことを心に留めたでしょうか。 先週、11月に牧師を引退された同級生の牧師が礼拝に来て下さいました。そんなことで、同じ寮生活をした牧師たちの出版した本を読んでみました。

 「翻って生きよ 希望を生きる」(小副川幸孝著)を読んでいると次のような文に目が留まりました。 「聖書は、・・・・この毎日の生活の中で、何を心に留めていくべきかを語ります。・・・・・・・・・・・・・言ってみれば、問題の中を私たちは生き抜いているのです。しかし、それらのものを心に留めていきていくのではなく、本当に生きる力となるようなものを心に残すようにと言うのです。」    

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 私たちの命の危険がり、日々の生活様式さえ劇的に、すごいスピードで変化せざる中を生きなければならなかった厳しい新型コロナウィルス感染拡大によって、私たちは多様で、深刻な問題の日々をよくここまで生きてきました。

 そして、2021年を閉じようとするとき、聖書はこの毎日の生活の中で、何を心に留めるべきかを語っていることに耳を傾けたいのです。

4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

 ここで、何について喜ぶかということが言われていません。私たちは、私にとって好ましい事柄については喜び、不幸な事柄については悲しみます。この喜ぶか悲しむかは、私たちが主体でなく、いつも何か私に起きたときに喜んだり、悲しんだりする受け身です。しかし、「常に喜びなさい。」という喜びは、受け身でなく人の喜ぶ主体があるのです。たとえ、今回の新型コロナウィルス感染拡大によって、私たちに不幸なことが起きても、なおかつそれに打ち勝って喜ぶ喜びがあると聖書は私たちに語りかけるのです。

 信仰者だからどんな悲しいことに出会っても、我慢していつも喜びなさいと言っているのではないのです。

 ここで、わざわざ、「主において」ということからくるいつも喜ぶということの人の基本的生き方がるのです。「主において」、主・イエス・キリストの中を生きるという者、信仰者への神のゆるぎない信頼感、生きることへの安心感という恵みです。主の中を生きる者にとって、常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさいということが体で、心で味合うことが出来るようにされているのです。

 原語は、「主は近い」(口語訳)という訳ですが、新共同聖書は「主はすぐ近くにおられます」。と訳しています。この意味は、クリスマスが既に来た、イエス・キリストが誕生されたという出来事により、主はまだ来ていないということでなく、主は、今、すでに私たちの中におられるというということです。

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 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。  このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、  男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。                                                                                                                                                                                          マタイによる福音書1:18-25

 ヨセフに主はすぐ近くにおられました。神は思い煩うヨセフに声をかけます。「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」と。神の言葉に信頼し、すべての思い煩いからとかれ、救い主・イエス・キリストの誕生の喜びをいただいたヨセフは、人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るという福音を私たちに告げ知らせてくださっています。 

 「言ってみれば、問題の中を私たちは生き抜いているのです。しかし、それらのものを心に留めていきていくのではなく、本当に生きる力となるようなものを心に残す」

 本当に生きる力とは、主はすぐ近くにおられます、 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である、ということです。神が与えてくださった福音です。今も、新型コロナウィルス感染拡大での思い煩いは打ち破られ、それに代わってキリスト・イエスによって守られていることに心を留めて、2022年にむけて平和の内を歩みだしましょう。

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牧師室の小窓からのぞいてみると

ドイツの新しい内閣は、閣僚が男女半数になった。重要閣僚の内相、外相は女性である。また、前首相メルケル氏は女性で、ドイツ、EUを牽引してきた。政治の場で女性がどうしてこんなにも活躍できるのか知りたい。

 日本に目を向けると女性の知事は出ているが、国政では首相を目指して2名立候補したが、今回もかなわなかった。男性閣僚17人に対して女性閣僚は3人であり、G7では最低である。男女格差は大きい。この違いはどこからくるのか知りたい。

 広島大学の森永康子教授が、「男女格差を維持する4の心しくみ」ということを書いている。1.システムの正当化、2.公正な世界観、3.相補世界観、4.集団内での地位についての知覚という日本人の4つの心のしくみが変えていくことを妨げているという。興味あるものであるので一読されると良いと思う。そして、この4の心の仕組みは日本人のメンタリティーに合っているように感じている。だから男女格差はなかなか改善しないと思う。自分自身も意識して、深く受け止め、変えていかなけれ

ばならないと思わされた。

    園長・瞑想?迷走記          

 クリスマス・ページェントの練習が始まると、教室のどこからともなく、子どもたちのページェントの台詞、元気な讃美歌の歌声が聞こえてくる。幼稚園にクリスマスが告げられる。

キリスト教育の一環であるが、しかし、12月のこのときにページェントをするということは、劇を演じるということで、子どもたちの成長を子どもたち自身が体験し、保育者と共有していく時でもある。保育者が気づかなかった一人一人の心の成長も含めて発見できる感動の時でもある。

演じるということは子どもたちの成長を引き出していく大切なことだと思う。園長は、保育者とこのことを互いに気づくように寄り添っていく時でもあると思う。

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日毎の糧-ルターからの言葉

聖書:へブル13:7~9     詩篇80 

7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。9 いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。

ルターの言葉から

    しかしながら、モーセは信仰のゆえに、すべてこれらのことと王宮の優雅な生活を軽視するに至った。第二に彼は、これらのすべてのものを値のないものとしたのであるが、それはもっとも偉大なもの、あるいはこれと同程度のものを見たためでなく、災いのほかなにものでもない十字架とそれをめぐるもののためであった。彼は、いち早く「神は強い者を辱めるために、弱い者を選び、有力なものを無力にするために、無力なものを選ばれた」(第一コリント1:27以下)という使徒の言葉を成就した。

『ルター著作集 第二集 10 第一コリント15章講解、ヘブル書1~11章講解』                   岸千年、徳善義和訳 聖文舎

 

恵みによって隣人とともに

 クリスマスは、神さまの恵みを私たちに与えてくださった出来事です。恵みは神の子、イエス・キリストです。イエスさまは、赤子で、自分の身を弱いヨセフとマリアに委ねるしかない存在でした。

 それは、弱さの中でこそ、神の恵みはあるということを示されたのではないでしょうか。新型コロナウィルス感染拡大によって、私たちは、自分の弱さ、無力を知らされました。しかし、弱さのここにも主は身を横たえ、私とおられました。主と共にいるという信頼の中で、私たちは逃げることなく隣人と共に今の苦しみを負っていきましょう。

祈り)弱さの内に神への信仰を持ち続けた先人に倣い、私たちも歩み、弱くても隣人へと歩み、励ますことが出来ますように。

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大森通信

「大森ルーテル教会70年史」6

 アメリカ・スオミ・ルーテル教会の特徴というかフィンランド人の特徴は、教育に力をいれるということだと思う。それは常に他国に支配された苦難の歴史の中で教育が苦難を乗り越えて大切なものであることを経験していったからである。アメリカに移民した少数者であったフィンランド人は、多くの困難さと、民族差別受けながら、教会が中心となって教育の場を作っていった。彼らは幼児教育から大学まで創設した。

 当然のように日本のスオミ系教会も教育に目を向けることになり、戦前は信州にいくつかの幼稚園を作った。戦後のアメリカ・スオミ教会もアウネ先生により大森が、マッコネン宣教師によって甲府が幼稚園を創設していった。幼稚園は宣教そのものであった。

 厳しい社会状況にあって、甲府は幼稚園を閉じたが、大森教会の総会記録からは厳しい社会状況にあって、幼稚園を守っていくこと、それを実行することに対する苦闘の記録がある。また70年後の初年度、戦後最低の出生率、社会構造が専業主婦世帯と共働き世帯数が40年間でまったく逆転した年にあたり、また大きな変化を余儀なくされている。もう一つの大切な歴史が、新たな展開を迎えたことになる。 

(大森日記))同級生だったH牧師が引退をされ、礼拝にきてくださる。思いもよらない出会い。次年度のことについての協議であるが、時代の変化の中での宣教、とくに幼稚園の運営について協議される。夕礼拝は朝の礼拝に出席出来なかった方が来られるという出会いがある。これも大きな恵みである。)近所の面白い古本屋に寄り、幼稚園園児のためにクリスマスの本を購入。後で、子どもからありがとうの声をもらう。)羽村幼稚園の事務処理のためにいく。やっと事務員も雇用出来て、事務が整理されていく。当然であるが教会も幼稚園も人であると思う。)今年は、クリスマスを迎える前にクリスマス・カードが届けられた。)幼稚園のクリスマス・ページェント練習を見ながら、子どもたちがイエスさまの誕生を伝える姿はいつまでも続いて欲しいと思う。